どうでもいい

22:29から。

本日は会社の飲み会である。とはいえ、アルコールを摂取しているのは僕しか居ない。僕が呑んだことで予算が余剰になっている気がするが、店長が補てんしてくれた。僕が研修終わってからこの場が多くなったらしいからその辺りは誤差と言うことで。

僕は満月さんの実家でも1人で呑んでいる。呑んだら出る本性に変な発言が無いもんで、ある意味マスコット。本日も、ほとんど変わらないよねーと珍獣のように観測される。

人生を楽しんで居れば、愚痴は出てこない。出て来たとしても彼岸の話。

店長は満月さんのことを凄く面白い人だと思っているらしい。

一家に1人欲しいムードメーカーと言っていた。何万人も人と接しているだけはある。満月一家の離島を阻止したエピソードもちらっと話しておいた。

流石INFPの仲介者。

僕がこの食事会で語り継がれるのは息を吸うようにビールを飲むこと。

かいがい女子が急遽欠席で、ほんとは話したかったなと思う。

変な意味でもないし、僕は彼女が辞めてもダメージは無く、単にこのまま潰れるのはもったいなというだけ。上層部(店長とスーパー事務)に差し飲みしてきてと言われたが、アリではある。満月さんも特に気にしないと思われる。

真面目な人には気楽で良いよと言ってくれる人が居ないと潰れる。

このお仕事観、それぞれあって面白い。スーパー事務は甲斐だし、店長も甲斐。ただニュアンスが違う。Jがスーパー事務でPが店長みたいなイメージ。先輩お嬢はそもそも仕事を自分の人生劇場としていない。これは類型的になんぞやとなる以前の話。

それぞれ面白いのだが、先輩お嬢とは漫画とアニメの話しかできない。芸能とスポーツ以外はだいたい履修済み。

Jかどうか知らないスーパー事務とはこの業界のシステムとしてお部屋をあてがえない人が居ることがオカシイよねという話をした。何処かで賃貸を決める人はどこで選択しても良いけれど、何処でも借りられない人はどうするかみたいな話。実社会の現実問題だから、

Pである店長とは、帰りに野望を持って仕事をしていた方が楽しいよねという話があり、僕は硯不動産で独立する野望がありますみたいな話をすると嬉しそうな雰囲気になっていた。

これからナンバー2になってプレッシャーかかるかもしらんけどとか言っていたけれど、そんなもんは割とどうでも良い境地になっている。ということも店長はなんとなく気付いている節がある。僕の苦労話を語ったことは無いのだが、僕が苦労してきた人であるというというのは気付かれていそう。そりゃあ何万人も人と接していたらそうなるわなと。

僕は別に苦労を是とはしていないし、苦労したから他者にも同じ苦労をみたいな呪詛的な人格の人もいるから、この社会においてどういう人格が正常なのかは知らない。ただ、正常寄りな人と苦労寄りな人だと、苦労寄りの人の方が人に優しく在れるのではないかと勝手に思っている。

僕は無神論者なのだけど、人生で修行っぽいパートが多すぎて、人は越えられる苦難しか起こらないという説を体現しているような気がする。

そうして、今や毎晩小躍りできるようになった。

それが他者にとって良いことかどうかは知らないけど、僕にとっては気楽な人生劇場。

自分語りばかりしていていてもつまらないから、エニグラムの話。

この前別の診断だとINFJだったのだが、これだとINFPになった。

解説を読むと面白い。

おそらく前半の「IN」部分は変わらないだろうから読み流して、「J」と「P」の違いは端的に言えば、社会のメカニズムを見るのが「J」で、自分に向かうのが「P」。論理と感情と言い換えても良いけども、微妙にニュアンスが違う。

個人的には、感情というか自我みたいな型が自分固有だと思えるのも社会ありきだと思っていて、表裏一体というか同じこと。

人に固有の感情とか自我があるという概念は、心理学とか法学が社会的に掘り下げて来たことのお下がりとまではいわないけれど、そういうものがあるという社会がないと在り得ない感覚じゃなかろうかと。

例えば、僕も誰か不特定多数の人と繋がって居ないと自分がどこにも居ないのではないという感覚があった。僕の時代だとLINEはなかったからメールでの交信とかだった。返さないと怖い。現在のグループLINEが当たり前の人格性は割と地獄だと思っているが、それが当たり前な人にあえて説く気もしない。

1人で良いというのは諸々の判断を他責にできない世界だから、これはこれで見る人によっては地獄だし。

なんだっけ、あぁ個人的には僕はINFJでもありINFPでもあるで問題無い。

自分のことを気にするようになってきて、質問に答える気分によってそうなったというだけ。相変わらず社会への興味は尽きない。

質問に答えるときに第一回答と第二回答が違う。

中間からどちらも反対側なもんで、自分とは分裂しているのではないかと思うけども、これはあくまで外から見たことであって。個人の中で見解が相違するのは当たり前。

僕は統一的な人格があるべきという現代心理学の見解にはずっとアンチ。

マズローさんのやつ、ピラミッド形式だから、バラモン、クシャトリヤ、あとなんだっけみたいな役職のヒエラルキーが見える。

僕の中で相違しているのだから、他人が統一的な人格を持っている存在とは認識できない。

統一的に見えるように振る舞っているけれど、あくまで外用のペルソナなんだろうなって。

これを引っぺがすのが人間関係の醍醐味ではなかろうか。

もちろん、自分もひっぺがされるから、一方通行ではありえない。

ホスピタリティ。

どうでも良いけれど、夫婦の話。

店長の家族関係はよく分からないけれど、店長は深夜に帰ってきたときに合わせるように洗濯機が止まるらしい。干して畳むのが役割とのこと。

店長の奥さんは専業で何しているのだろうと思いつつ、店長から硯さんもいずれこうなるんだよ、諦めも必要みたいなこと言われる。

これを聞いた僕は、墓地に行かなくても良い相手だから満月さんと結婚したし、満月さんは一生こうはならないから、別の世界線だと思う。なかなか大変は伴侶を選んだもんだとしかならず。

ちょっと分かるのが、楽しまなくても良いということは変化しないということだから、何処かに変化しなくても良い部分がないと、自分の劇場として成り立たないということ。

設定が確立していないと物語が起こらないみたいな意味合い。

人って、設定が読み取れない話を読めないという説が起こっている。

僕も「カラマーゾフの兄弟」を読んでいるのだが、設定が全然分からないから作者の意図が読み取れない。かといって読んでいて舞台が脳内想起される訳でもないし。

僕は割とアンチ設定みたいなところがあって、人の言語的な説明を人格的な真実とはしなくなってきて、なんとも楽になってきている。

例えばだけど、満月さんの人格は僕に投げた言葉で決まらない。

僕の人格もそうだと捉えられるかというとそうでもない。腕枕したときにパジャマが唾液臭い(当人発信)と言ったら、僕が臭いと言っていることになるとか。

僕のことをおじいちゃんとか平気で表現するのに、この文脈で同じようなことを言ったらアウト。いや、僕はおじいちゃんと言われても何も気にしない。老年と幼年って人の終着点としては同じだし。

満月さんからおじいちゃんと言われ、お客様からは若者と言われ。

ここの読者さんからは何と言われているのだろう。

どの面でも特に装っていなくて済むようになったもんで、どれが正の自分であるみたいな認識が無い。

今日は日付が変わる前に終わった、良かった。

後は寝るだけ。

おやすみなさい。

良い夢を。

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