万華鏡

23:25から。

本日は書く時間があんまり無い日。

本当はもうちょっと早い予定だったのだが、諸々。一瞬憤怒が出そうになったが、憤怒氏暗い自分で宥(なだ)められるようになっている。割と冷静な常識人なのだが、いや、我々常識の枠内で生きてないよねと。

ここでいう常識は僕が個人的に培っている範疇で、例えばやった分は返って来るべきだとか、朗らかに過ごして居たらなんか良いことが起るみたいなスピリチュアルも含む。良いことが起るのは儀式的に毎晩小躍りしているという因果の方が憤怒氏が想定している常識より的確に僕の劇場を観測している気がする。

憤怒氏は基本的に僕(自己)が無駄に消費されることを気にしてくれている良い奴。

さておき。

先輩女子がぽよんぽよん働いている。

ここに焦点を当てるのは面白くない。個人的には付き合ってあげたいのだが、仕事場に居るからには仕事を追求したいとなるもんで、合わない。これを年齢が若いからと一般化してしまうのは老人の極み。かいがい女子は先輩女子より年下だがきちんと仕事をしに来ている。

まぁ、ここには憤怒氏はやって来ない。

あくまで仕事場だもんで、別に僕が選んだ人が居る訳でも無いし、いちいちマッチングを気にするような場でもなく。

本日のお仕事場での面白いポイントはいくつかある。

正直、毎日どこかに面白いポイントを発見できなくなったらもうその場で頭が起きていないことであって、それも1つの姿勢だと思うけども、個人的には転職を考えるタイミングではと思わなくもない。

1つは描写するとあまりに具体的な仕事バレをしてしまう。ここは抽象化できない。

成長ポイントで個人的には好きなのだが、まぁ直に話すようなお友達ができたら話すかもしれない。要は、発話に馴染む部分。

もう1つが、本日お客様とお話をしていて、スーパー事務が参戦したときに感じたこと。

人って聞き手が変わると話しが変わるのだなと。ぶっちゃけ僕がやろうとした方向性とは違ったのだが、聞き手によって当人が変わるように見受けられる現象。

いや、当たり前じゃんとなる人でも、相手によって話すことを変えているとすれば、外からみたその人というのは、主観的に可変的存在なのだろうなと。

その人とは。

僕は自分に都合が良いように話さないようにするという意味の制限はあんまりしていない。

これを言ったら相手が傷付くとか、この発言は相手から見た僕の存在観が壊れるよなという意味で制限はある。

自分を良い風に見せたいとか、悪く想われたくないとかで方々にそれぞれ語彙を使っている人でも、自分は客観的に1つの人格であると思っている。

この微妙な乖離って面白いなと。

昨日満月さんが同僚さんと電話をしていて、あの人がアレみたいな当事者が居ないところで第三者の評価をしているのを聞いて、ちょっと嫌な気分になった。

そこに語られている言葉がどうかではなく、僕が居ないところで僕のことを評価されることにしんどさがあったなぁって。これは悪評価でも高評価でも変わらない。なんてことはない。この形式って葬儀でしている話と同じ。いや、常識だと生きている人のうわさ話をしているだけとなるのだが、そもそも、生きている人ってどういう概念だろう。

今や誰かが自分のことをどう言っているかなぞどうでも良い小躍りタイムになったから、好きに評価してくれとなっている。これが悪くなったらしょうがないし、あんまり回復させる気も無い。母親にはちょっとマウント取らないとなぁと思いつつ。

現代日本の個人観だとなんだか自己が1つの客観だっていう感覚があって、心理学的も1つに統合されるべきだみたいな感じがあるけれど、人と関係している以上、そんな訳は無いよなと。次元が1つではないのだから。

文章は関係ではなくて、読まれたいように自分で在れるコンテンツという向きはあるが、そんな無味乾燥というか味付けがない文章ってそんなに読む時間を創れない。いや、フォロワーさんが更新しているのはだいたい読んでいるんだけど。

ちゃんと類型的ではない自己を開示して下さいとか想っちゃう。

無茶振りが過ぎるか。

僕も色々類型的な名前が付く精神性だけど、貴方ってそうじゃないじゃん、名前が付いて安心するところではないじゃんとか。

仲間集めで精神診断しないからズレているのか。

やべ。また夜更かし。

迅速に寝るべし。

おやすみなさい。

良い夢を。

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