」
23:19から。
満月さんが下ごしらえしてくれた唐揚げが美味い。
情報源はX。浅漬けの素とにんにくだけとのこと。
ひじきの煮物も作ってくれた。美味い。
付け合わせに、唐揚げ終わりの油でアスパラを素揚げしてパプリカとマリネ。
我が家は砂糖が無い(グラニュー糖はある)もんで、甘味はこの前養蜂場で買ったはちみつにした。
付け合わせとして絶妙。
さておき。
お仕事。
成果に繋がる仕事はあんまりできなかった。これも経験。
個人的にはきちんと触れば触るほど学習していく性質なのは分かっているから、店長からお小言があったけれどあんまり気にしていない。
ポイントは「きちんと」=体系的に。ちょっとずつ触って断片をジグソーパズルみたいに繋げていくのは余計時間がかかる。自分が一回きちんと触れれば他の人にも流せるのだが、他の人が流してくれる情報は断片が多い。
先輩女子を今後はどう扱うかというのが物議をかもしている。
これは、職場の感情的にではなく、制度の話。皆さんいいオトナだから感情は殺している。
個人的には、先輩女子が逃していたお客様を僕が多少はなんとかできるのではないかという思考錯誤に向いていて、先輩女子がどんなお仕事をするかは気にしない。とか言いつつ、休みの日で動けないときに動いていただくのはとてもありがたい。成果に集中できる。
かいがい女子もたいがいアウトローだもんで、僕の弟子のような動きをしている。
しんどい人生劇場を過ごした人特有のセンサーがあって、なんとなくアイコンタクトできるし。
仕事って会社に属している以上、自分の仕事をこなせば終わりではないし、成果に視点が向かわないといけない。いけないってことはないが、それが見えないなら義務だけで働いていることになる。
僕はいずれ18時くらいまでに終わる仕事に至りたいところ。私生活を切り売りする配信者とも違う。
要は、時間と仕事の成果の生産性が一致しないお仕事。今営業という業種なのは、結構近いところに居る気がする。時間と生産性が一致するお仕事は、どれくらいの期間か分からないけれど、そのうち人間の仕事としては成立しなくなってくるような気がする。
いや、これは僕が仕事時間はなるべく短くして、本を読んだりなんだりしたいという願望でもあるだけで、特に世界がどうなるかという話でもない。
ということは、夜に空いているお店が無いという世界を許容しないといけない。
いやいや、これって僕が生まれ育った家で過ごした時間と変わらない。我が実家、ちょっと飲み物が欲しくなっても家にある物しか飲めない。自販機まで山から下りて15分くらい。
この話なんだろうな。
生産性とはなんぞや。
市場価格が高いと思ったとき、原価と費用(人件費)に加えて、その売り手(法人)が存在を維持する為の生活費(たぶん他の呼び名がある)まで考えて高いって言う人はきっと居ない。電化製品系はちょっとこの計算バグっている気がしないでもない。
この存在を維持するための生活費みたいなところが割とミソな気がする。
これは、その存在を守りたいという資本主義とは全然関係ない論理から生まれる生産性。
いや、僕は資本主義は全然知らんもんで、てきとーなこと言っている。
ただ、このたまたま生活費と名付けた概念を個人的な関係に繋げると面白い。
僕は別にお金を使うとか使われるとかで個人的な関係を見ていないのだが、なんとなくある方が払えば良いのではないのかという心情がある。ほんとに無い袖は振れないし、袖はあるのに降らないのは違うけど、僕は半袖くらいの時でも気にせず振っていた。
振り過ぎてほぼ全裸になったこともある。
僕が気にしているのはお金の問題ではない。
変な話、パトロンになっても良いから一緒に居ようと言ってくれた男性がかつて居たのだが、そういう話でもない。断った。
僕を支配できると思ってやって来る人は多かったのだが、きちんと芯はある模様。
価値があるとか無いとかで生きるのはあんまり人間的ではないような気がしているのだが、これをきちんと言語化できる気がしない。他の言語を知っている訳でもないけれど、日本語って結構価値的、「貴方が好きだ」、「貴方は好きだ」、どちらも何かと比べている感じがある。
時間切れ―。
おやすみなさい。
良い夢を。