22:32から。
あれま、ぎりぎりの残業を終えた本日、定時ちょっと過ぎに帰れた昨日より元気。
昨日は元気が枯渇していて書くより寝るの方が勝った。体調不良ではなくて、たんなる元気不足。良く寝たら治った。
リクエストの親子丼はあと仕上げの卵液半分をかけるのみ。副菜も上々。
冷蔵庫に残っていた山芋ときゅうりとキムチを組み合わせた和え物(ごま油と塩の下味)と、雑にカリカリにしたベーコンとベビーリーフのサラダ。
さておき。
昔は夏休み頃にわちゃわちゃしていた気がする彼岸花の時期。調べたら特にズレていなかった。何か記憶補正がかかっている模様。ネーミングで損している花の筆頭ではなかろうか。個人的にはシンプルな構造とどぎつい色が好き。珍しい白色とかも良いが、スタンダードでも充分。先週草を刈った丸坊主になったはずの土手ににょきにょき伸びている。
触ると障る(かぶれる)ので注意。
お仕事。
諸々の激動期。
入院中のかいがい女子のお父さんの具合が悪くなって、彼女は急遽お休み。
お休みのフォローはお互い様だから何とも思わないが、店長と2人きりになったときに彼がしんみりモードになったもんで、一緒にしんみりモードになった。
僕が今でも接したかったなと思っているのは18歳頃に亡くなった父親なのだが、それはもう叶わない。まだ人生劇場に居る母親とは頻繁に連絡とって逢いに行った方が良いよと言われる。過去形なのか現在型なのか、おそらく過去形。店長のお母様は世話になりたくないもんで、むしろ奥様と会いに来るなという人だったらしい。
僕もなんだか大人側になったという傾向はあって、これを聞いたとき、時間を創って母親にあって諸々の問題を解消しなきゃなと思う。義務でも情でもない言語化があまりできない領域で。
おそらく満月さんとの孫を連れて行くという世界線は今のところ無い。そのために為すものでもないし、問題はそこじゃない。我が母は凄く過去にこだわっている。
僕も大人になったから、遺恨はそろそろお仕舞にして、定期的に母親とLINEしても良いかなと思ってきた。寂しそうだからとか、連絡を欲されているからという動機は主導権を自分が握って居ない。主導権を握って、変な踊りとかを送り付けた方が主観的。
誰も気にしていないと思うけれど、個人的には大人の定義がずっと気になっている。
どんな大人も断片的にしか教えてくれなかった。子供の頃は色んな大人が居て、だいたい優しい。そこからすれば、母親が一番厳しい。
でも、個人的な子供期として、甘い人が好きだった訳ではないなという反省。
ちやほやしてくれる親戚筋の集まりは居心地が悪くてしょうがない。
お祖父ちゃんは特に何かを教えてくれる訳ではなかったし、そんなにちやほやも無かったのだが、親族の中で一番相性が良かった人かもしれない。孫の直系だから甘やかされていたという可能性はあるけれど、甘い言葉は本人以外からしか流れてこない。
本人と2人で居るときは当時はよく分からないことを主観で語られていた。
永久機関を研究しているとか。
この話はあくまで僕のナカのことなので、別に誰かと客観的に共有することでもない。
共有することでもないことが溢れているのが大人の定義か。
社会的な、現実的な大人の定義としては、個人的なところだと自分の世界以外に心を傾けられることだと思った。観測、そういう大人はほとんど居ないもんで、人生劇場を過ごす上では大人にならなくても良いのかもしれない。どんな劇場(なんなら実子のことでも)自分の世界にしか還元できないのであれば、単なる個人でしかない。
この話もどうでも良いのだが、今後友達ができるとすれば、きっと僕をきちんと自分と同じ土俵に上げて同列に認識してくれる人だろうなと思う。僕が認識されたいではなく、僕は認識しているもんで、同じ水準でと言う意味。
大人になればなるほど、人と現実的に自発として逢うのは難しくなる。
可動域が拡がるからその場所で逢える人は多くなるけども、場所以外で呑めるとかはほとんどない。
縁が芽生えた人に逢える世界線はアリだと思っているし、貴方が良ければ満月さんもセットになるかどうかともかくという感じだが、この感じに周波数が合う人は今のところ居なさそう。
という感じで、個人的には仕事だろうがプライベートだろうが、人と出逢えるのは縁でしか無い。どれだけの人と出逢えるかみたいな無限の可能性を信仰できるほど子供ではないし、別にこういう人に逢いたいみたいな具体的な願望も無い。
いや、坂口安吾さんには逢いたかった説はある。
堕落論が有名だが、エッセイより、桜の小説が好き。
夏目漱石さんとも話したかったか。村上春樹さんと森博嗣さんだったら、森さんの話を聞きたい説。ここは別に僕を語りたい訳でもなくて、僕という存在がどれだけ当人の話を聞けるだろうかという意味合い。
最後にお仕事の進捗。
昨日の元気が無いときに、耳が痛い話をぶっこんでくる店長。
硯さんはアウトローの人が得意だけど、一見普通の人が苦手なのはなんか分かるかと聞かれらた。
アウトローの人は問題が顕在化しているから、そこにはすぐ寄り添える。
一見普通の人が抱えている問題は、普通のやり方では届かない。
腑に落ちたのだが、元気が無いもんで耳に残っただけ。
至らないところを指摘されたと今日は思えるけども、昨日はそれどころでは無かった。
致命的なタイミングで人を響かせる店長。
満月さんも割と似ている。こっちは当人無自覚っぽいけども。
ここで言う問題はあくまで「住む場所」を移動しなきゃいけないという話だが、たしかに何某かの動機が無ければ人は移動できない。
この観念、目から鱗。
僕もたしかに旅としての移動は独り身ときにいっぱいしたが、住むところを変えたいと思うことは無かった。
今も別に思わない。
住むところを変える動機が無いのは、住む場所はあくまで前提であって、本質とは無関係だから。個人的にはいちいち選ぶことに迷うのは時間の無駄ではないかという説。
いや、満月さんが今住んでる部屋を見つけてくれたのは間取りも設備も素晴らしいのはたしか。(ただ、この部屋の機能を使い切っていない)。
もう寝る時間。
まだいろいろ書けることはあるのだが、はい、ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。