23:32から。
やべぇ。
もうこんな時間。
あんまり濃厚なのは書けないかもしれない。
凝縮していこう。
お仕事は相変わらず調子が良い。
たぶん、元気があるときは良くて、元気が無いときは良くない。
人に踏み込んで行くのは神経使うし、こちらのエネルギーが無いといけない。
なんなら図太さが無いと。
人と関わることでエネルギーが補充されるのが外向的な人の本質という仮説。
僕は人と関わって補充されるということはない。エネルギー消費しつつ楽しいなというのはあるけども、エネルギ―のお裾分けでしかない。だもんで、自分が元気で無いと上手く人と関われない。だいたい元気だから問題は無いし、なんなら、その違いはあんまり無い。ただ、成果とかエネルギーの枯渇みたいな誤差があり、これは自分しか観測できないだけ。
エナジードレインの人って聞いたことがあるだろうか。
端的に言うと、人をあんまり褒めないとか許容しない人物で、周りに居る人のエネルギー効率が悪くなる人。
店長は割とそっちの気だなと想う。
居るだけでなんとなくピリピリするし、足りないことを言われるのが多い。
ただ、僕の解釈だと単なるツンデレなのかなとなっていて、叱られてもあんまり気にしないという気分。やる気が無い訳ではないし、言われたことはだいたい足しているもんで、もう物理的に時間が無いこととか、先輩女子が教えてくれなかったことを指摘するくらいしか足りないことを言う隙間が無くなっている。
個人的には営業の先生だから、特に文句は無いけれど、耐性が無い人にとってはしんどい日人かもなという気がする。かいがい女子は僕が上に居ないと、店長の下では働けないかもしれない。
かいがい女子は気質が良く似ているとは思っていると何回か書いているが、おそらく気質が内向寄りなのだろうなと。もちろん店長もきっと内向の人。先輩女子は当人が外向か内向かを把握するような体験を経ていない人に読める。
なんというか、外向とか内向も別に学術的な定義がある訳ではないから、単に人と接する時にテンションが高めの人が外向だとか、物静かな人が内向だとか、てきとーに言葉に雰囲気を当てている節がありそう。こういう分別が付いてくると、人生劇場が楽しくなってくる。
本日お客様で一回り以上下の若者と関わったのだが、滅茶苦茶賢い。
ここでいう賢さは吸収力の話で、僕の話を偏見なく聞いてくれるなーって。もちろん、そういう相手には僕も存分に偏見なく聞ける。
若者と話すのは楽しい。
ちゃんと経年している人とのお話も面白いが新鮮味。
若者の定義って、若い頃の方がもっと動けたみたいに語られることが多い。
オールができたとかなんとか。ここは肉体ベースの定義。僕はまた若い肉体に還れるとなっても、オールが楽しいとはならない。
当時はそういう時間軸しか無かっただけで、二日酔い以上にエネルギーの枯渇が凄かった。物理的には動けるけど、あくまで肉体が動いているだけで、精神的には何にも動けない。
若者は精神が統合されていないから、色んな情報を収集して動かざるを得ないという向きもあると思う。僕は統合されなきゃいけない人格という説自体を疑問視しているけれど、脱線する。
どうでも良いが、若者の頃よりお酒を呑めるようになっているのだがどうしたものか。
若者のほんとうの定義は、世界に開いて居ること。
経年しても新しいことができるとか、自分が培ったことを破壊しても良いとなるかどうか。もともとが無い生粋の若者は更新しないと人格が産まれない。
20代はもはや若者ではない時代なのかもしれない。
大人って何かを決めつけられることだし。どれだけ若くても、世界を決めつけてしまったらそれはもう大人になっている。いや、大人になることが目的ならそれはもう完成だし、疑義は無い。
こういう意味では店長は若者気質あると思っている。
自覚があるかどうかはともかく、僕が入社した時から随分と雰囲気が変わった。
高尚なことを書いているようで、あくまで僕の主観の話だから、具体的にプライベートで誰かと関わったとしても、この世界が真理としては語ることはない。人格が統合されなきゃいけないとなると、神様が自分になる。こういう文脈の神の視点で話されると、会話ができなくなる。
神谷さんは爆裂主観でしか書かない人だから、1回逢ってお話を聞いてみたいなという気分はある。ほんとに主観的な世界観しかない人だったら、自分の性質に合いそうなところしか読まないだろうし。
これがおなごだからというとちょっと違って、ますらおの昨夜さんとも1回お話してみたいというのが同じ文脈。
僕の文章を読んでくれる人であれば、ちょっとは僕との現実的関わりに耐性ついているのではないかという願望。要は、勝手にお友達候補にしたいという感じ。
お友達の定義は、省略。
最後。
もう寝ないと明日が大変なのだが、寝不足でちょっとお酒が残っている(物理ではなく精神)感じの方が調子が良い説がある。
大人の話の続きで、僕はもう努力はできないなという感じがある。
何かの動機の為に動くのはぶっちゃけ子供のメカニズムというか、なんだろうな、現在の人間のメカニズムなのか。
外から観測されて努力とみなされるのは別に良い。
変な文章をだいたい毎日書いているなぁって観測されているし、コレが努力だと思わるのは観測者の勝手。
ただ、主観的なところで、自分が努力をしているという解釈になるような行動はできない。
だって、自分がそれをやったら返って来るほど良い振り分けの世界ではないのに、努力という運の世界では生きられないって。
もはや時間も限られてきたもんで、楽しいことしかしないようにしないと勿体無いなという見地。外から努力していないと観測されたところで何も堪えない。
外から観測される評価が自分の存在を揺らがすものでは無い。
これだけ図太くなった理由は詠み人知らず。
これが僕個人の操縦方法なのだが、それぞれ人によって操縦方法は違うと思われる。
満月さんは動機が無いと動けなくて本日ポンコツだったらしい。
人格が統合されていないからややこしい人なのだが、なんというか、動きたくないときには無理に動かなくても良いよと思う。
満月さんのペルソナの中に動機⇒行動という因果に馴染まない人が居て、僕と親和性がある気がするのだが、このペルソナとはあんまり話したことが無い。
ただ、ペルソナがいくつあろうが、舵を取る人格は作っておく方が良いような。
人には見えない仮面が常備されているという認識の方が、世界を矛盾無く把握できるのだろうなという説。
あくまで説だから、僕がここを正しいと思っていると読まれるのは誤解になる。
別に誤解してくれても問題はない。誤解して離れていくのはとんと正しい。
書きすぎかよ。
おやすみなさい。
良い夢を。