解釈

22:55から。

会話が無い空間が気にならないかどうかはパートナーとして重要な気がする。

無音だと人は言葉を無理矢理紡ぎ出そうするみたいな話が鷲田清一さんの哲学書に書いてあった。

満月さんは、僕が朝に一服してあんまり会話に参加しないと塩対応とか言う。

酔っぱらい最高潮の時は話を振りまくってくるのにって。

外食の時、満月さんがアプリで漫画を読んでいて無言でも気にならない。

なんなら僕も漫画を読む。無音でも全然大丈夫。合わせなくても良いから1人で居られるという意味ではなく、2人で居ても無音で大丈夫というニュアンス。どちらも相手にあわせていない。

会話をすることと、話をすることって微妙にニュアンスが違うよなと思った。

会話はお互いが話す場。話は一方通行でもありうる。

男性は解決脳とか女性は共感脳とか言うけれど、ここって同軸だと思う。

どちらもあんまり会話ではない。話をしていることがたまたま繋がっただけ、みたいな。

会話という空間が成り立つのは、お互いが自分の世界ではない相手のことを聞くことができるかどうかだろうなぁと。お互い興味があったとて、なかなかそういう状況は稀有。

ここで言うと、どれだけ長く過ごしたパートナー関係であってもほとんどが話をする領域で、会話が成り立つというのはほとんどないということになる。

まぁこんなの定義遊びだもんで、あんまり気にしなくて良い。

定義遊び面白いから推奨だけど、だいたいそんな時間も空間もない気がする。

お仕事。

こういう定義で言うと、店長とは会話が成り立たない。

色々雑談もあるのだが、なんとなくこの人の語彙の世界でしか話せないなという感じがある。もちろんスキか嫌かで言うとスキな人。

ただ、僕が何を話したところで、店長の語彙に還元されている気がするのがなんとも。

本日足りないところを指摘された。終わる前に言われたら指示だけど、終わった後になんとでも言えるのは指摘。

曰く、「硯さんはもっと図々しくなった方が良い」とのこと。

言わんとしている具体例はあるのだが、店長の指摘が無いところでは図々しくやっているところもあるから、このままだと、たまたま見えていなかっただけになる。

とすれば、上司が部下に対して必要な指示はできているところとできていないところをきちんと分けて説明することだとなった。

足りていないことばかり言語化されたら、変な話、僕って店長の世界において無能なのかという自己認識に至らざるを得ない。

いや、言語化されていない部分はデレだよという話にもなりそうだが、そんなデレは仕事場においては認識できない。

僕が上司になることがあればそうしようと思っているだけであって、店長の上司像は嫌ではない。不器用なのだろうなって。お客様と接するように同僚と接すれば良いのではとか。

有能な人の典型なのかもしれない。

仕事が出来過ぎて、同僚に対して世界観を落とせない。語彙は落としているけども。

僕はそんなに有能ではないから、色んなことを考えられて良い劇場。

会話の重点は人の話を聞くことという定義でここまま書く。

お客様の発言で凄く面白いなと思ったフレーズがあった。

「商品は変わらないし、どこのお店でも商品の価値自体は変わらないのに、何を競争しているんですか?」

なかなか顧客視点の本質を突いていると思った。ほんとうはこんな見識が出てこないようにするのがこのお仕事なのだが、それはともかく。

この視点って、なんというか、客視点でしかなく、提供側に回ったことが無い人の世界観。満月さんがこの発言を聞いたらきっと合理的な反論がある。

市場価値以上の人間関係としての付加価値を上乗せするのが客商売の醍醐味ですわみたいな。

こういう素朴な疑問を投げられたのをちょっと嬉しいと感じるドМ。

これを言っても良いという印象があったのだろうなという解釈。誰にでも言っているのかもしれないが、そういうことはワカラナイし。

商品価値が同一で、どこでも売られている物だとしたら、どこで買うかは誰が売っているかによるというのを婉曲的に伝えてみたのだが、きっと戻っては来ない。

こういうのが貨幣関係の世界観なのだろうな。

貨幣が自分の価値と同値になっている。

いや、これはこれで一種の宗教的世界観だから、自由に信じたら良いと思う。

このフレーズは、お話をしてくれたという感じ。

こんな疑問、普通の営業マンには投げかけられないだろうって。

もう1人のお客様とは、きちんと会話ができた。

諸々普通では無いところがあったのだが、そんなことはあんまり関係ない。もちろんお仕事だから条件厳しい中でも商品を提供するように諸々はした。

僕とは別の世界でヲタクの人だったのだが、僕のてきとーな雑談も聞き取ってくれる辺り、とても耳が良さげ。人の話を聞ける人はパートナーだいたい自然とできるのに、あえて居ないということは、1人で生きることに合っているのだろうなと思った。

独り身が淋しいというのは定義遊びあって、もはや1人で一生過ごす劇場も赦されているから、外形的な状況は全く問題とならない。

(満月さんは僕の発言聞き取れないことがある、これは聴力の問題ではなく、予想していない言葉があんまり聞き取れないのではという解釈と、満月家のデシベルが高いから僕の声量ではあんまり届かない説と、自己主張(音量)高い一家という印象だもんで、スルーされても仕方ない)

僕だけに適用される話なのかもしれないが、精神性のだいたいって定義問題でしかなくて、この定義は社会性のお話であって、動かしがたい領域では無さげ。

自分がしんどい語りをしている人は、しんどい定義で遊んでいる。

いや、遊びが人生劇場の本質だから、遊びが悪いというニュアンスでもない。

はい、ここまで。

色々遊んで書いた。

おやすみなさい。

良い夢を。

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