22;52から。

本日も在庫一生キャンペーンの食卓。

満月さんのリクエストのつけ蕎麦はともかく。

お仕事。

満月さんから充実していると言われるし、たしかにその通りなのだが、「充実」の概念って、実は不安定なのだろうな。どこまで行っても自分では足りないし、中身がある劇場というのは、不安(定)とセット。だから、安定した劇場を求めてそれを得られたとき、実はその場面って空疎なのではないか。

店長から成果を取れーと言われるのは、あんまりプレッシャーにはならない。

上からの圧力が嫌なのは仕事場のスパイスという意味では充実要素だと思うが、我が店舗、なんだかんだ皆仲良しなもんで、僕がヘイトを集めれば問題ない。なんだかんだヘイトを成果で昇華しているし。

いろんなお客様が居て、成果に繋がらないようなお客様は仕方が無いけれど、成果に繋がるのであれば、ちゃんと抱え込んでしまうというのができてきている。

これは進歩というよりは、自己の色の出し具合の話。

僕にこんな癖があるのは、文章界では知っていたが、現実ではあんまり出して居なかった。

越境癖。

仕事で必要なことを聞くという事務的なヒアリングではなく、単に人の人生劇場に読み手として参与したいという癖(へき)。これって、自分の世界だけで生きている人には割と難しくて、どうしても技術の話になる。技術的に聞きたいとか、自分の世界に繋げるために聞きたいという手法はきっとあって、フロムさんではないけれど、「聞くという技術」はあると思われる。自分が好きで無いことでも興味深そうに演出するみたいな。

僕は芸能とスポーツ以外はだいたい越境的に聞けるもんで、そこで色が出せるのだろうなと自覚してきた。この分類は、当人の人生劇場の話というよりは、観測者の視点だから当人にあんまり潜れなくて美味しくないというだけのこと。

本日、めちゃくちゃ良いカップルのお客様に当たった。

結婚を控えている方々で、物腰がとても良い。会話が敬語交りなところがなんとも。

それがイイですねって指摘したら、「でも敬語で話したらいいとしか思っていないのでのでは、ちゃんと敬意を払っているんですかね」と返ってきて、一頻り盛り上がるのも尚良き。

恙なく続く人達だなと思った。ちゃんと適切な距離感がある。

仲が良いからぞんざいな会話をしないという関係に越境できてほくほく。

我が家と比べるのは流石に申し訳なさげだが、関係性がとても良かった。

どちらとも寄りかかって居ないのが良い。

この楽しさはなんそやという考察パート。

岡田斗司夫さんの才能とは何ぞやという話も挟まないと結論に至れないという。

努力できるかどうかは才能というか遺伝子の話であるという話。

ルックスも遺伝だから、人生劇場結局無理ゲーだよなぁとなりつつ、だとしたらどうやって社会を構築するかとなる、アメリカは努力で成功できるという世界観で、ヨーロッパは成功者は運で成功している世界観だから税金が全然違うらしい。

これを踏まえて日本がどうなのかというと、なんとなく中途半端な気がするという感想。

僕は努力ができない人だという自己認識があるのだが、目的の為の最短ルートの為に行動し続けるというのが駄目なだけで、外から見れば努力とみなされそうなことは継続しているような気がするから、そういう遺伝子は持っているのかもしれない、

ここで定義付けると、努力とは、成果とは無関係にただただ継続できる性能ということになる。これを好きなこととするのか、趣味にするのかはなかなか微妙。

で、中身がある人という話もあった岡田さん。

僕はもはや中身が無い人とはあんまりみなされないと想ってはいる。中身があるかどうかって、自分に中身があるかどうかではなく、他者からそう見えるかどうか。 僕の文章を読み続けているよな人は僕に中身が無いとは読んでないだろうし。

人に中身がアルかどうかの判断って、観測者からの視点からして、「役に立つかどうか」であるという岡田さんの言はなかなか真理だと思う。

僕の文章も秋の夜長の読み物として役に立っているから読んでもらっていると思っているから、僕が認証されている訳でもなく。分離している。僕の文章が誰かに好かれたところで、僕が好かれている訳でもない。

という、永い前置き。

僕が人と接して楽しいと思えて来ているのは、結局のところ、認識が上振れしているからだという説。

あんまり共感は得られないと思いながら書くのだが、他人と接するとき、その他人を認識できる範囲は自己認識の幅でしかない。今日のカップルの良さを認識できるのは僕が拡がっていないと在り得ないこと。敬語でやりとりするのはあくまで他人行儀でないかと言う認識だったら、この親和性を読み取れない。

という意味で、認識によって他者への関係性が変わる。

ここまでは主観だけども、これを反転すると相手から認識できる僕というのも、相手の人生劇場によって変わるものだよなという認識に至る。

僕はあんまり人格を真理みたいに固定していないもんで、自分にも発見されるし、誰かにも発見されるくらいで良い。

ミソは、誰かに対して何かを感じるのであれば、それはほとんど自分の話であるということ。

それが良きしろ悪きにせよ。

満月さんのお仕事話はだいたい変な人の話が多いのだが、楽しい劇場だったら、僕にそんな話をしなくても良くなるに違いない。自分が嫌だったことより、楽しいことに視点が向かえば変なお客さんに対して焦点が合わなくなる。

その話を聞きたくないではなく、いや、もっと面白い景色もいっぱい見ているよねという話。

このニュアンスが満月さんに通じるか不明。

やべ、寝ないと。

おやすみなさい。

良い夢を。

PAGE TOP