在るべき

23:29から。

1日3,4時間しか働かなくて良くなったら、3時間くらいは活字を読む時間を設けたい。

図書館で3時間あれば普通のサイズであれば1冊は読めるだろうし、まだまだ知らないことがたくさんあるし。

そんな生活ええな。という現実逃避をした通勤道。本日はこの界隈、運動会が多かったらしい。野外に人がたくさんいる。ちょっと寒いくらいが最も活動できるのは誰でも同じ。

と、ほのぼの書いているようだが、ここ3日くらいほんと生きた心地が無かった。なんなら今日がピークで、惰性のように仕事をしただけという感がある。なんなら今も余韻がある。満月さんが美味しい鍋をこさえてくれて、美味しく食べたのだが、この「生きた心地の無さ」は拭えない。

この状態の言語化をするのはとても難しい。

岡田さんの動画で、言語化ができるようになるにはというテーマの話を見ていたのだが、言語化って、解像度を下げることなのだろうなと。これは何回か書いているような気がする。解像度を下げるというのは情報量を減らすという意味であって、ようは誰にとっても情報として捉えることができるように整えること。漫画で言うところのデフォルメでも良い。

ここで言えば、行動だって主体からすれば情報量を減らして分かり易くするもの。

これは、僕が人間を言葉とか行動で表現できる情報の存在ではないと捉えているからであって、他の人はもっと人(主に自分)をもっと解像度を下げて捉えている説もある。

人の本質は言動では捉えられないところに在るとすると、どんな科学的・文学的・哲学的手段でもそこには届かれない。

それっぽいことを書いているけども、特に何の意味もない。

「生きた心地が無い」状態に戻って来る。動けない訳でもないし、人と話せない訳でも無い。ただただ自分が存在していることが不安な状態。これって、どれだけお酒を呑んでも逃れられない。誰かに承認されるというのはお酒と同じに対処療法ちっく。僕がお酒を呑んでいるのは美味しいの他に世界の解像度を下げるという説もあるのだが、たぶん誰にも通じないから話さない。

不安になると強迫神経症的なところがやたらと出てくる。

鍵をきちんと閉めたのか、アイロンのコンセントをきちんと抜いたのか、諸々。でもこれって症状として顕著になるだけであって、どんなに調子が良くても拭えない。

鍵に関しては特に閉めなきゃならないという感覚ではなく、閉めなきゃいけないときにきちんと閉めたかどうかという話。満月さんも僕も部屋の鍵についてはまぁまぁなぁなぁで、ちょっと出るだけの時にいちいち閉めなきゃいけないという観念はない。

鍵を閉める行為って防犯意識というよりは財産を守る行為。

そういえば、なるほど。

調子悪いと、フェミニストの頓珍漢な文章が流れてくるのだった。2日前くらいに統計を使って日本は女性にとって治安が良い国ではないという言説が流れてきたのだが、ちっとも理解できなかった。統計ってあくまでデータだから、それをどう評価するかが信ぴょう性の本質な気がするが、なんとも恣意的に操作された評価な気がしてあんまり読めない。

性犯罪をされた女性が自己防衛して居ないから自業自得だという言説はオカシイとも書いていたけども、なんだろうな。価値があることを自覚して動くことと、価値が無いものと同じようにちゃらんぽらんで居る自由は両立しないから、ちやほやされないようにするか、ちやほやされることを自覚して制限するかしかないようなとしか思わない論争。

僕は善悪の観念をそれほど重視していないから、性犯罪に対しては加害者は然るべく処罰されればいいし、むしろ被害者を奇異の眼で見ることがオカシイとするべきなのではという感じ。被害者は巻き込まれた人であって、当人の価値は何も変動してないという価値観が共有されたほうが平和。

我が伴侶の満月さんは、男性が仕事をして家事やら育児の時間が無いことに対して男性の風当たりが強くなっている風潮がおかしいよねとくらいまともなバランス感覚がある人。別に自分が男性である訳でもなく、専業主婦である訳でもないのに想像できるのが生粋の文学脳っぽい。

これが文学脳であって我を主人公としかできない文章を書く人は、いわゆる文系なだけなのかもしれない。知らんけど。僕もあんまり文系ではないし、自分が文系なんですって言う人は特に文学を探究したこともないし、一般の日本人ですと言っているだけなのかもしれない。一般日本人なんて存在しないのに。知らんけど。

お仕事。

生きた心地がしない原因はお仕事の変動期だからという説。

お仕事領域が拡がり過ぎて収集できない。なまじ記憶力があるもんで、自分がやりきれていないことは把握しているのに、行動が追い付かいギャップが苦しい。

店長から、「硯さんはお人好し過ぎる」というお叱りをいただく。

もっと人をコントロールしないと、不機嫌になる練習をしましょうかって。

文脈によっては褒め言葉なのに、局面によって評価が変ってくるのが言葉。

反論があるとすれば、僕は別にお人好しではない。情があんまりないから結構さっぱり人間を断捨離できるような人格である。ただ、お仕事上ではそんな人格を出していないだけ。

たしかに、お仕事上ではもうちょっとコントールしていかねばなのだが、あんまり人をコントロールするってしたくないんだよな。いや、選り好みするような立場ではないからもっと駆使したら良いのか。

これが何で嫌のかというと、劇場の登場人物が舞台装置みたいになってしまうこと。

いや都合良いから良いじゃんってなるのが一般日本人かもしれないが、そこに自由意志はあるのかというお話。もちろん、洗脳みたいな話でもない。

最後。

「生きた心地の無さ」の感覚は、ちょっとキルケゴールさんが言うところの「絶望」に近い気がした。拠り所がない存在の所在無さは絶対的な孤独。

こういう語彙でしか表現できないところもあるのが人間。

夜更かしし過ぎ問題。

おやすみなさい。

良い夢を。

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