めらんこりー

22:10から。

生きた心地がしてきた。

昔から自分の思索の中身を話すとややこしいことを考え過ぎだと言われてきた。

端的に言えば「もっと解像度を下げよう」というアドバイスであって、割と正しい。だから、人に自分の中身を話すことはやめている。対話形式に向いていない語彙。あんまり相手に合わせられないところ。酔っぱらったときにちょろっと出る可能性はあるが、酔っぱらっていても、相手が聞けるようなことしか話していない気がする。

人に話すことしなくても僕にはここがあるため、対話形式ではない言葉を日記と言う形式で育んできた。これが実生活に役立つことなんてほぼ皆無。だって、そんな目的に向いていない。文章が上手くなったのかと問答したところで、きっとだいたいの人が何か変な文章が書かれているなとスルーする。それで正解。

読ませたいのではなくて、読みたい人だけ読めば重畳。

応用して読ませる文章を書けるようになったのかというと、あんまりやったことがないから分からない。昔書いた劇評はそういう方向で書いている気がするが、読者カウントが無いからどれだけの人が立ち止まったのかが不明。

さておき。

「生きた心地」について。

人それぞれだから一義的に意味を纏められないのは大前提として、僕の中では「本質に向かって変化し続けている実感」と定義したい。何か新鮮なことを体験することが生きた心地だと定義されることが多いような気がするが、これって、ちょっと逃避的。同じ方向で、他者から認証されることを生きた心地とするのも具合が悪い。存在が外に依存している。いや、そういう信仰めいた思想は、人類と成ってから脈々と続いていることだろうし、特に疑義もない。僕がそこでは生きられないというだけ。

満月さんはこういう意味で信仰寄りの存在認証な気がするが、僕に付き合える強度があるのがほんと凄い。あんまり自分で分かって居ないから、いずれ僕に捨てられるかもしれないと愚痴っているが、これって捨てるのが自分かもしれないという鏡理論なのではと観測している。捨てるという感覚があるからこそ捨てられるという観念が起こるという意味合い。

僕は人を捨てたことが無いという認識。

世界線が合わなければお別れになるが、人は物ではないから捨てたり捨てられたりするものではない。言葉遊びかな。まぐあうことを食べるとか言うし、物扱いで言葉遊びするのが人間界という説。

さておき。

お仕事。

あいかわらず忙しい。

僕は割とお仕事ではちゃんとしたい人格になったので、無遅刻無欠勤を通しているのだが、業務の中身を自分が想う「ちゃんと」にできなくて困る。この「ちゃんと」ができなくても回っているから、実はこれはあんまりちゃんとしなくて良い部分である説。その分ちくちくと色んな方面(主に店長と先輩女子)から言われるのだが、そんなこと知らん、任せる! で良い気がしてきた。

帰り際、店長に辛辣なアドバイスを言われ、受け取った瞬間はどうすりゃ良いねんと絶望だったが、帰り途に腑に落ちてきて、「生きた心地」がした。

一般的なアドバイスではないから他の人が聞いてもピンと来ないはず。

店長も色んな語彙を持っていて、一般用な言葉をいつも言っているが、今回はあくまで僕の為の言葉だった気がする。いや、店長の僕に対する言葉はまぁまぁだいたい個別的なような。

僕の人生劇場だいたい秀逸なアドバイザーが現れる。

なんともありがたいことだが、結局受け入れるかどうかの主導権は当人にある。

具体的なところで一字一句引用しても意味が無いのでてきとーにデフォルメ。

「良い営業マンを演じてもお客様にとっても硯さんにとっても良くないからね」

なかなか含蓄があって、なんなら僕の私生活にも突き抜けている。

僕が良く(優しく)見えるのは素なのだが、あくまで相手に合わせているから。自分に合わせてくれる人はだいたいの人が好き。僕は人が自分に合わせて欲しくない、自由意志の中で一緒の世界線を過ごしてくれればいいなって。

この世界線、実は相手が僕ワールドに無理矢理合わせてくれていたことばかりだった。

申し訳ねぇ。僕も合わせているつもりだったが、プライベートでは僕ワールドが展開されているらしい。指示する言葉をあんまり使わないし、共感されたい言葉も使わないし、なんなら奇声を発して小躍りするし、疎通という意味では疎い。

店長からの「関係性の作り損」というフレーズもなかなか腑に落ちる。

僕は結構お客様と仲良くなれる。プライベートの世界じゃないから越境し放題というところで、この部分は素朴が出まくっている。素朴を出せば出すほどお客様と仲良くなれる。

個人的にはプライベートの関係性では聞けない人の物語を読めてほくほくなのだが、お仕事なのだからそれではいけないという意味合い。ここの比重を上手く取らないといけない。

最後。

人をコントロールすることへの罪悪感を軽減する論理を構築してみた。

経済学用語だったか心理学用語だったか、「誘引」という概念がある。

誘引が無いと人は従来のところから動けない。CMとかが最もな誘引。だとすると、ここは全然悪いことで無く、あくまで可能性を提供しているだけであって、僕が原因ではなく、あくまで誘引でしかない。

このお仕事場でお客様として来た以上、そういう誘引はしかるべくで良いのかなって。

そうやって、人が購買しないと経済が回らないお仕事世界で過ごしているのはちょっとアレだが、このお仕事で居る以上、素では居られないで良いとしたい。

こういうの、たぶんだいたいの人は公私問わず無自覚でやっている。

技術なのか素朴なのかはともかく。見えるようになってしまったのが解像度を上げていること。

だもんで、他人が僕をコントロールしようとしてきたらだいたい分かる。だいたい分かってもまぁまぁ合わせて来たのが第二幕くらいの人生劇場。満月さんも割とコントロール側の人ではありそう。あんまり合わせてないけども。

合わせることができるからこそ断捨離して友人0なのが今。

友達が居なくても充実できる奴はリア充から攻撃されがち。

社会的な世界だと、友人めいた人が増えて来ている。

お仕事上のやり取りだけなのに優遇してくれるとか。

はい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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