22:15から。
また浮上してきた模様。
あんまり変な言葉が浮かんで来なくなった。
朝。
昨日浸水させていたお米がおにぎりにならないだろうなと思ったら、遅めの満月さんがむくりと起きて熱々のおにぎりをこさえてくれた。プロの所業。
ぼーっと半沢直樹を見ていたら22;51。
お仕事。
久々の胃痛。
生きた心地がしないことと比べるとややマシ。
なぜかいつもやらない夕礼が起こり、色々と持ち上げられるスタッフ。
僕はあんまり褒めが言動力にはならないけども、かいがい女子にとっては良かったかもしれない。
店長はよく見ているというか、色々と意図がある人だからあえてこれを言ったのは、硯に対してもっと周りを気にせずやれよという指摘と解釈できなくもない。もっと先輩女子を使う練習をしようという話もあったし。先輩女子は前線から退いて後方支援になったもんで。
もっと仕事場で、INFJであれ、ないしサイコパスであれみたいな。
端的に言えば、空気を読まなくて良いという説。
我が店舗良い店舗だが、どの人もそんなに空気を読んでいない。
なるほど、僕は守るべきものも特に無いのに余計なリソースを使っているということになる。別に当人自己評価を他人から補給されていないから、そこは関係無いんだよな。良い人に見られる必要がない。
という視界が昨日の店長の指摘が拡げてくれた視界。
だもんで、店長にも良いスタッフだと認識されようと動かなくても良いということになる。
ちゃんとしていないにも拘らずあんまり破綻しないという稀有な社員と認識されている模様。
別にサボりはしないし、もっと行動量が増える方向だからいくらやっても怒られないと思われる。何を目的とするかというお話。
どう行動できるかというのは、認識にある世界の中で意思というアクセルと、どう演じないといけないかのブレーキのバランス。いやどう演じないといけないかがアクセルになっていることもあるから、アクセルとブレーキは同次元。
この世界観で生きられたら、胃痛がなくなるかもしれない。
色んな人の心労なんて知ったこっちゃないって。この自分の心労も思い込みというか、そういう風にインストールされているから肉体に響いているだけなような気がしてきた。
責任はもちろん負わないといけない部分はあるけれど、肉体にまで響かせる必要は無い。
こういう解釈は、ごりごりというかきりきりと自分が削られるお仕事場でしか出て来なくて、いやはや、このお仕事場面白いなと思っている。もうちょっと先ではもっとゆるゆる仕事をしたいのだが、「今ここ」に居ることが楽しい。
僕はドМなもんで、苦境が面白い。
だいたい大学入学してから苦境ばかりなもんで、誰かから自分が苦しいですと言われたところであんまり共感しない。共感する劇場は相手にとってもよろしくないというのがお仕事場で確証されているし、苦境を平気な顔で通りこして来た人の方が面白い。
人生劇場の醍醐味は、まだ半分くらいの経年だが結局のところ、どれだけ認識が更新されても自分で居られるかだろうな。自分が今まで生きて来た世界観から変わっても自分を保てるかだし、拠り所はそんなに無い。いや、拠り所で生きている人にはそんな集まりがあるのだろうけど。
はい、短いけど寝ます。
良い夢を。