こうしん

21:42から。

お仕事でクレームをいただいたが、楽しんでいる。

本日は休み、ながら半日くらい仕事をして、期日前投票に行ってきた。

なんとも国民的休日。

あんまり時事的なことを書くのは憚れるのだが、気にしなくて良いのか。

投票に行ったのが何年振りか(もしくは初めてなのかもしれない)くらいの非国民。

良く言われる言葉で、「投票しないと政治に文句を言う資格がない」というのがある。これはずっと変だと思っていたのだが、それが正だと思っている人に対しては何も言わない。

ふと本日お風呂に入っているときに腑に落ちた。

投票も政治的言論も国民の基本的人権というか権利(自由)だからオカシイ。もし投票が義務で、政治的言論が投票の義務を果たして初めて自由になる権利だったらこの論理はとても分かるのだが、そんな訳はない。投票するの政治的言論を展開するのも自由だから、投票行かなくも政治に文句を言って良いし、投票行って文句を言わなくても良い。

ここで言っている権利義務は民法というか契約みたいな何かをしたら何かを請求できるみたいな話ではなく、国家がそれを制限しないという意味合いだから微妙にニュアンスが違う。憲法上の自由は、国民が何かをしないと保障されないものではなく、国家の帰属圏内に居れば等しく認められるもの。社会保障面だとやや変わって来るけども、参政権とか表現の自由は基本的に留保なく認められなければならないものという認識。もちろん例外はあるけれど。

ともかく。

そうやって満月さんに付き合って賛成意識が高まったもんで、各政党のマニュフェストとさっくり読んだ。議席数を確保している党程目標が抽象的になるのが比例代表制なのか(もちろん違う)。

個人的には具体的な数値を掲げている党のほうが信ぴょう性がある、と満月さんに言ったら、私も具体的な数値的な目標を掲げているところしか選ばないと言う。政治的言論も言い合える夫婦。

政治家への愚痴という意味での文句、例えば誰が総理大臣になっても変わらないみたいなやつ、を投票に行かずに言うだけだと確かに違う。現状が不満なら現状を変えるかもしれない人(党)に投票するという表現しかできないし、投票してより悪くなったところで個人に責任はない。という意味でも一般的な感覚としての「権利」とは違う。

満月さんは行動する変革派だもんで、某党の現実的に可能なのかはともかくとして、今が嫌だからこちらにベットするというくらいの感覚っぽい。僕もざっくりマニュフェストを読んで、できたら世の中変わりそうだなと思った。違うなと思ったら満月さんの見解にも流されないから、面白そうと感じただけ。

で、あんまり細かいことを書くと党バレしそうだが、選挙法的に大丈夫、か。

個人的に興味があるのが財源の話。

消費税を撤廃できたらそれに越したことは無い。これって僕が消費税が嫌だなと思っている訳ではない。細かいお金の計算を気にしなくても良くなって来た(?)から、消費税を計算しながら家計を気にしない。じゃなくて、本当に極限領域でお金のことしか考えられない人にとっては無茶苦茶しんどいこと(その時期もあったもんで)。全国民に薄く広く負担をさせることがメリットだという話だが、ほんまか? としか思えない。

所得税を負担しないリタイア後の高齢者層に負担を課せるって、デザインとして結構汚い。高齢者層だってお金がある人とない人も居る訳で、そんな世界で楽しいはずが無い。不公平感を無くす政策ってなかなか難しい。僕は別に自分が不公平だとは思っていない、念のため。

法人税をアップするというのは、結構ありだと思う。中小企業ではなくて、政治を動かす影響力があるような大企業。ざっと調べていた時にそれだったら大企業は拠点を移してタックスヘイブンみたいな言説もあり、たしかに。これは日本だけの話ではなく国際的なネットワークで対処しないといけない案件だなという印象。

で、もっとも気になっているのが、国民にお金を配給することが現実的に可能なのかというところ。

僕の経済の知識は高校の時にざっくり読んだ政治経済の次元だもんで、拙いのは赦していだだきたい。

国債を発行することで供給を確保できるというお話は、この知識だと無理筋だと思う。

需要と供給の関係で貨幣の価値と物価が決まっているという認識だから、需要に見合わない供給をし過ぎると、ハイパーインフレーションが起こるのではと思ってしまう。

体系的にここのところの解説がないかとググってみたのだが、あくまで自己の立場からの論説みたいな文章しかなかった。金利がどうのとか、この理論には穴があるみたいな。

他者の見解を否定するのは反証を1例上げれば良いという簡単なお仕事。

もっと日本を良くするためにはみたいな公開されている文章って無いものかね。

否定するより肯定する方が難しそう。

一応ざっくり読んだ感だと政治も経済もなんだか不透明なのは、結局のところ非論理の感情が支配している世界だからだろうなという暫定。

これは僕が知識が無いのもあるし、興味が無いのもある。

これだけ書いていて興味が無いとは、とか思われそうだが、それが硯だと認識していただけるとありがたい(もう認識されているか)。

ちょっと戻って来て。

お仕事。

昨日ーパー事務とちょっと個人LINEをしたときに、「硯さんのふわふわ感は唯一無二で尊敬しています」と言われた。嬉しい。ただ、この嬉しさは自己肯定感とは繋がっては居ない。僕もスーパー事務のことは尊敬しているけれど、連動ではなくて、個人が個人として尊重している関係。年下の硯に尊敬を抱く人なんてなかなか居ない。

経験(経年)とは交換できないところで関係できているのが面白い。

呑み空間みたいなプライベートで関わることは難しいだろうけども。

本日クレームをいただいた人は、店長が毒抜きしてくれたもんで、最終的には自分のマンションに遊びに来いみたいな談話が起こる。こういう起伏があるから色んな人から遠ざかられるのだろうと思いつつ、自分が正解でしかないという人生の幸せを想う。1つしか基準がない人生で生き抜けることはとても宗教ちっくな幸せ。

クレームをいただいた人のことはどうでも良い。

いや、個人的には越境癖が湧いてこの人の人生が気になってしまいつつあるのだが、この人の話を聞くためのエネルギー消費が激しいもんで断捨離案件。

僕の実年齢を言ったら、大卒の新卒で2年目でも通用すると笑い話になった。

結構鋭い人なのだが、その洞察を自分に向けられないから家族関係が不協和音になっているのだろうな。知ったことではない。

僕のパフォーマンスが落ちたのは、この人から「無能」認定されたからだろうなという認識。普段ではしないミスが連発しまくる。そうやって人に合わせてしまう節がある。まだこんなことやっているのかという感じだが、まぁ、付き合うかと思ってしまうお人好しな劇場観。

本来はここまでできるみたいな自己肯定観とも違う。

関係に寄り添い過ぎているだけ。

僕個人は、こうやって、てきとーな考察をしても良いし、現実的な所作でも発展している。料理が上手くなっているし、負荷が無い方がきちんと可動している。

だもんで、お仕事上ちゃんとしなきゃという感覚というか埃が綺麗になってきている。

魂が綺麗な人は実年齢より若く見えるという話を流し見して、たしかに僕の風貌を見て実年齢を当てられる人は居ないに違いない。これは年齢=人格みたいなところから脱却した精神性の顕われと認識したい。

まだまだ世界観変わるに違いという劇場で生きている。

いつまでも子供ということ。

今の人って、自己観も権利義務関係に侵食されている気がする。

例えば、noteの文章でスキをされることが自己を承認される気がするのは、自分が労力

をかけて書いたという供給と需要が一致すると嬉しいという感じ。

苦労というか他にしたいことがあるのに我慢して書いた文章なんて個人的には読みたくない。誰かに好かれるような文章しか書けないんだったら、あんまり表現者ではないよなと。いや、こんなところで文章を書いている人は一線の表現者の競争から逃れて、自分のことを好いている人しか求めていないのか。

いや、僕は商業的に価値が在る文章だから好きということが無いもんで、自己肯定観を必死に証明したそうな在野の文章も時には美味しい。

僕は、自分の文章をスキされても自分が補充された気はしないのだが、これが所有論の話なのだろうなと思った。

女性特有なのかどうか分からないけど、自分が性的な視点で見られたら自分が搾取された気分になるというのは、自己の容貌とが自己観と癒着しているから。僕も性的な視点で見られたことはあるけれど、その視点だけ搾取されると想うほどの自意識過剰が無い。

ディスっているのではなくて、自分の存在として帰属している領域が異なるのだろうなと。

表現が自己に帰属していると認識しているかどうか。人って生きているだけで表現している存在だし、どこまで自己とするかが微妙なところ。

性的な目線を向けられるだけで加害だと思う人は、ほんと主人公の世界で生きていると思っている。そんなの経年すれば無くなるし、ブランドを眺める視線でしかない。

要は、世界から見られる評価が、自分のものという「所有」っぽく認識されている。

存在を帰属でしか捉えられないのであればあんまり面白くない。帰属を取っ払った剥き出しの存在なんて、いまどき現れないのか。

僕は剥き出し。

やれやれ。

行動経済学の見地なのか分からんけど、「我慢して行動する」ことの非効率性について考えている。満月さんは家事してくれるし、料理も作ってくれるのだが、これってルーティンでではなくて、我慢してやっている節。

個人的には我慢してやってもらわなくても良いし、我慢してやらないといけないことは僕がやっても良い。ただ、これだとバランス取れていない。

経済的な需要と供給の話ではなくて、したいことがどこなのかというところ。

別に洗い物を放置して寝ても良いんだが、この世界観において、したいことできて居ないよねというだけ。

ぐーたら寝ている訳でも無いし(まぁまぁ寝てる)、お仕事もきちんとやっているけども、なんでそんな人生劇場生きているのだろうって。

ちなみに、僕はここで特に我慢していない。

割と家事をやっているのだが、洗い物をするのは、次に料理する人(僕、あるいは満月さん)がしんどいからであって、義務的にやっている訳でも無い。満月さんの世界観に合わせれば、料理は食べ物が完成したことが全てであって、洗い物が後日になる。

満月さんは洗い物をあんまりしないもんで、ここが何かの阻害要因になっているのであれば僕がカバーするけど、こういう本質的な雑談はなかなかできない。洗濯はしてくれるのだが、これは必要かどうかなのかな。

できなくても大丈夫だから結婚した節なのだが、世界って自分にとってじゃないよなぁというのが実感。満月さんに対して怒る要素が無い。

ここがまた面白くなって来ている。

誰にも何にもディスる要素は無いのが僕の物語。

長々書いてしまったけども、着いて来てくれる人は嬉しい。

おやすみなさい。

良い夢を。

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