適度な自分

23:01から。

夫婦共々受難の時。休みが取れない。受難の時というのは満月さんの解釈で、僕としては引っ張りだこで楽しんではいる。神経が休まらないというのはあるけれど。

身体では無くて神経を使うお仕事で、休む為にはお仕事のことを考えなくて良い時間が大事なのだが、それがなかなか作れない。店長以外の他の人はまぁまぁ休めているみたいだから、ブラック企業なのではなく、僕がブラックを引き寄せている。望むところというか、望まれるところ。

そういえば、昨日の日記にスキが付かないのは長すぎたからだろうか。

それとも政治経済の話が入ってきて難しいからか。書いていないだけで芸能とスポーツ(テニスは除く)以外はだいたい興味がある。

いや、別に好かれたくて書いている訳ではないから別に良いのだが、そもそも読めない文章になっているとすれば、意味が無いなというだけ。自分のナカだけでのお話であれば、人に読まれるようなツール(言語)を使う必要が無いもんで。

この記号によって世界を読み解いて表現するという行為は、言語でも数学でも音楽でも同じかもしれない。

本日はリモートでお仕事をしながら、なんだかんだ漫画を読む。

マルチタスクは集中力を阻害するというのが定説だけども、僕は散漫で散歩した方が歩みが捗る(楽しい)。

「はじめアルゴリズム」という数学漫画を一気読みした。

計算は苦手だが、数学の壮大さは好き。無限の概念とか、0で割ってはいけないとか、諸々。面白いなと思ったのは、数学が自然を読み解けているのではなくて、人間が自然を読み解くために数学が産まれたのではないかという命題。これって言語(詩・小説)とかにも繋がりそうだなと。

数学は分けることによって世界を理解していくものという認識で、言葉もそれが指し示すものとそれ以外を分けるためのもの。ここを突き詰めていくと結局自分は居ないとなりそうだが、そうはならない素朴な感覚があるから、人はこういったツールを扱える。

なんというか、世界が拡張する感じの読み物だった。

あと、なんだっけ。

人は物を持ちすぎているなぁというのも繋がっている気がする。

「所有論」と「ひとでなし」も繋がっていて面白い。

かの岡潔という数学者が、数学は情緒だと言ったらしい。

「はじめアルゴリズム」ではもうちょっと分かり易い言葉に言い換えていて、曰く「変化を捉える心」とのこと。

満月さんは本日のLINEで秋桜が咲いていたと送ってきたが、これも情緒。

違いが分かる心を持っている。違いって何だろうと気になることから人間が始まる。

としてみると、「多様性」の感覚はそうとうヤバイ。

違いが分かたれることに一切目を向けないで、一緒くたの集合にしてしまうから。抽象化ではなくて、具体的な違いを度外視して脳のリソースをそこに向けなくて良いとしてしまうことになって、現実的に不具合が起こるだけ。

違いは人間である以上不可避。

情緒とか端緒とか趣とか、良い言葉。

個人的には桎梏も好きなのだが、ちょっと方向が違う。単にカッコイイ。

僕の貌があんまり老化しなくなったのは、人間を謳歌し出したからという説があるのだが、別に医学的エビデンスはない。満月さんが出逢った頃の僕の貌より今の貌の方が生き生きしていると言う実例はあるけれど。

どうでも良いけれど、僕の今の年齢だと、父親と母親が僕を成した頃より年上なのだが、父親はもっと老けていたというか、踵とかが固まっていた。もっと経年が自覚されるような年齢だと思うのだが、なんでこんなに若い(若く見られる)のだろうな。

どうでも良いっちゃ良いのだが、ずっと思春期を過ごしているからという説も出てきている。社会的な正論はとても分かるし、そんなに外れたことをするつもりもないけれど、定説にあらがっても良い社会だし、なんとでもなる気分。

人の劣化は遺伝子に依存しているというのが定説だけど、本当は環境要因もあるのかもしれない。そんなこと、人間で理解できる範疇ではないのかも。

だとすればというか、僕は視力についての自説があって、世界をもう見たくないと認識したら視力が落ちるのではという仮説。いや、遺伝はともかく事故は仕方ないけれど、結構連動していないかという説。あくまで僕の視力問題からの論理だが、きょろきょろして世界に興味を持たなくなると、眼を動かす筋力が落ちるのは確かでは無かろうか。

眼を動かしているのは脳で、脳はサボタージュしたい奴だもんで省エネしたいから、眼から採り入れる情報はなるべく少ない方が良い。固定観念とかもサボタージュの一種という認識。脳はブラック(寝ているときにも動いている)から、あんまりエネルギー消費したく無いのだろうな。

僕はなるべく脳をサボらせないように一生過ごす所存。

脳は臓器の中で今のところ移植できないとのことだし、ここが今のところ自己の固有性という認識で良さげ。

最後。

世の中変だなとふと思ったこと。

「不安」って脳にとってめちゃくちゃ悪い栄養だと思っているのだが、ここを対処する方法って誰も教えてくれなかったなって。「負荷(ストレス)」とも違う。東洋思想とか原始仏教ではありそうだけど、経済を回す原動力でもある訳で、対処されても困るのかもしれない。

持っていると認識しているから不安になるし、解消するために代償が必要になる。

ミニマリストとか断捨離って必要最低限を自分として帰属させて生きるということで、不安は無くなるのかもなと思った。

「所有」と「帰属」は似て非なるものだろうなと考えている。

そのうち言語化される。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

PAGE TOP