とんとん

21:54から。

19時から満月さんが作っておいてくれた晩御飯がうますぎる。

一昨日作った牛テールシチューのアレンジで、ミートソースをこさえて山芋のグラタンになった。するする食べられる。あと、タコと玉ねぎのカルパッチョもうまい。どちらも完成度が高すぎてありがたや。

さておき。

調子が良いもんで、またお風呂読書を追加した。「不平等の進化的起源」という翻訳本。

面白い。

世界の文化のどこでもだいたいジェンダーで役割分担が決まっているらしい。ここを読んでいて思ったのは、これって差別ではなくて、あくまで集団の機能的文化だったのだろうなと。集団を生き残らせるためにいちいち差別していたら餓死するだろうし。

この機能的分担は今から見ればめちゃくちゃざっくりだけども、集団としての効率性は高かったのだろうなと思う。そもそも分担を決めるコストだって馬鹿にならない。ざっくり見た目で分けれれるのであれば、集団の判断のショートカットになるし、これがざっくりとした正解だったから人類が生き残ってきたに違いない。

この流れは現在にも繋がって居る。具体的な関係、例えば満月さんとの役割分担は個々の特性というか忙しさとかもろもろの状況を加味した集団には適用できない感じになっているが、僕もそれを集団でいちいち行使はできない。要は、具体的なことはショートカットしなくて済む領域でしか運用できないということ。

ここがカオスになっているのが現代社会。

ちょっと裁判の話だけど、同性婚を認められなくて精神的苦痛を賠償しろみたいな事件があったはず。高等裁判所は違憲だけど賠償は認めないという判断をした(おぼろげ)。

これも集団としての役割と個々の役割を混同した主張。別に勝手に同性同士で同棲すれば良いし、僕もそこが変だなとは思わないけれど、集団(社会)として、その制度を創る意味が個人的はちょっと分からない。だって、結婚に社会的な優遇制ってもはやあんまり無くないか。もちろん、どちらかが扶養に入るという制度を使いたいなら婚姻届けを提出しないといけないが、この優遇制を受けられないから精神的苦痛を受けるっておかしな話。訴状を読んでいないけれど、おそらく、社会的にパートナーとして承認されないみたいな理由だと思う。

もうちょっと細かい話だと、憲法違反を訴える舞台において国家賠償法が使われるのは、日本は憲法のある条文がおかしいという抽象的な訴え方が認められていないから。国家賠償を使うと、違憲かどうかは判断してもらえる。ここを認められたら原告としては勝ちなのだろうが、賠償まで認められるためには「損害」が要る。自分のジェンダーが認められない苦痛をいちいち損害としていたら、国家の身が持たない。

いや、承認って美味しいの?

と感じる僕がおかしいからここは飛ばして。

配偶者控除みたいな制度は、別に女性が家庭に入らないといけないという道徳観から来たものではなく、子を成して子育てするという機能的な分担が原初にある。だって子を産むのは女性しかできないし、そんな時期に狩り(お仕事)なんてできないだろうし。

この機能的分担に道徳のスパイスをかけると不平等という概念になるではないかと思った。

僕は不平等とか理不尽をあんまり感じなくなったもんで、あんまりワカラナイのだが、長男だから家を継ぐべきみたいなお話は大昔にあった。もうスルーしてしまったが。

要は、効率性に特化していると個々人の事情とか性癖じゃない、性自認みたいなことはスルーした社会を構築することになる。今は効率性よりも個人を尊重するような時代になってきたから、いちいち思考コストがかかる。政治家さんとか裁判官は大変だろうな。だって、今や個々人が社会になれる世界だしなぁ。

個人的には非効率で個人を尊重する思考コスト爆上がりの世界は結構ウェルカム。

この世界は自分が認められるより遥かに他者を認める割合が多くなるに違いないのだが、あんまり誰もここを言及していないような。

自分が社会の中心って天動説ではあるまいし、自分の属性の立場が上がるみたいな勘違いしている層は、先祖返りしているような。

不平等という言葉(概念)自体が無くなるのが、本当に均された世界だと思うが、これがほんとうに人間の世界なのかとなるとまぁまぁ疑問ではある。不均衡の間にしか存在しないのが人間。

そういえば、「所有論」を読んでいて思ったのだが、ヒュームさんの原文触ったことが無かった。占有と所有の現在の観念はこの人由来っぽいな。次に読むのはこの人。

やれやれ。

お仕事は相変わらず詰め詰めな感じ。

ちょっと淋しい、いや、嘘か。

かいがい女子が来月で退職するのが確定っぽい。

僕の仕事上の負荷は誰が居ようが居なかろうがだいたい一緒だから、この意味で別に悲しくも淋しくもない。世界線が離れるのはちょっとわびしいけれど、結局僕にはあんまり公開しない人っぽいから、仕方ない。

僕に話さなかったのは色々バレそうだからではないかと穿ってしまう。

この退職の下り、何か変だなと感じる。

なんだかサイコパス味を感じるけれど、性質は似ていても使い方が違うのだろうなという感じ。

あんまり具体的に書こうとしても筆は進まない。

僕がかいがい女子の主観を物語ろうとすると変な小説になりそう。

もっと面白い話をしたいな。

あぁ、世界線の話。

この生き方は正直しんどい部分もある。もうちょっと自分が至って居たら、父とか祖母たちとかの退場前にもうちょっとお話できたのだが、だいたいが遅かった。でも、にもかかわらず、人生劇場の楽しさはマシている。後悔とは別に楽しんで良い。僕の辞書には後悔という概念が無くなってしまった。その分、反省で退場したがる傾向。

本日ここまで。

楽しく生きられる世界は平等ではなさそう。

おやすみなさい。

良い夢を。

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