22:38から。
ご飯が多めに残っていたからちょっと無理して食べたのだが、血糖値の上昇が半端ない。だいたい胃袋に空きがあるのが常態だから、食べるのに労力がかかる。
小食だと元気が無いのは個人的には嘘で、小食でも大丈夫な状態にしていないところから体調不良の落差で元気が無いとなっているだけのような、とんと引かなくなったけども、風邪の時は通常よりいっぱい食べるようになる。
さておかない。
お仕事の時も基本あんまり食べなくて良い。コンビニおにぎり2個だと空腹だが、空きっ腹より水分不足を気にしている。水不足は脳の活動に影響が出る感じがあるから、水分だけはいっぱい採っている。
職場で昼ご飯タイムが短いと話題になっているのだが、煙草と一緒で、別に食事タイムの意味での休憩時間あんまり要らないという感じ。ほんとはご飯より一本の方が休憩になるような気がするが職場上アウトなのでやらない。
この境界線の話。
面白かったのは、本日のお客様が、リモートワークに適応してしまった業種の人だったこと。業務としての拘束時間が無くなったもんで、仕事とプライベートの境界が曖昧になって体調を崩す人が続出したらしい。かといって、崩した人が業務で成果を上げている層とは限らないとか。
この話面白くない?
僕もそうだが、満月さんもこの境界性に対して耐性がある。精神的には過敏だから退場したいと思いがちなのだが、それが体にまでは響かないという。僕の話だが、中学校時代は学校に滅茶苦茶行きたくなくて、熱があるように捏造しようとしたりしたのだが、どうも元気なもんで、学校を休める日がほとんど無かった。
このお仕事も歴代のお仕事の中で最も境界線が曖昧なお仕事なのに、入社して2年ちょいで一度も体調を崩していない。ある意味、この曖昧さが良いのかもしれない。重たい案件が過ぎて肩の荷が下りたと思ったら、すぐさままた重たい案件が乗っかってきたと状況をスーパー事務に報告したら、「硯さんらしい」と言われた。いや、たしかに僕しか掬えない人達が居たことは認めるのだが。
人生劇場修行モードかよ。
なるほど、僕が特に誰かを羨ましいと思わないのは、自己の人生劇場を交換不可能だと認識しているから。比較できないという表現でも良い。優れている訳でも無いけれど、別に山ピーの顔になったらもっと幸せになると思わない。
(アルジャーノンに花束をのドラマが流れているだけ)
幸せを語る人って外的要因しか語らないけれど、ほんとは自分で充分という状態ではないかと思っている。あえて聞かれたら幸せだと答えるし、その外的要因は答えられるけども、どれだけ羅列したところで、幸せには辿り着けない気がする。
どうでも良いけども、さっき書いたお客様から「定義」とか「パラメータ」という言葉が出てくるのが面白かった。デジタルの定義は、外的要因を決めつけてしまうところにある気がする。そこから構築がある。文系の定義は集積を一言で述べればという感じだから、そこから方程式が産まれるものでもない。
幸せも文系の定義。
本当に幸せなら、幸せという言葉を遣わずに表現するのが文系の妙味だと思う。
別に定義の話をしているのではないし。
例えば、音に過敏な僕が、グースカピーしている満月さんの音を気にしなくなってきているとか。
はい、ちょっと歯切れが悪いのは、いつも食べないご飯を食べて体が詰まっているから。
血糖値上がっているもんで眠気が凄い。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。