凝縮


予定時間より10分早く起き上がった。夜の時間を省略するために白菜を刻んで塩もみしておく。出勤も数分早くなって、炎天下でも汗はあまりかかないくらいゆっくり歩けた。

自分の行動の単位は時給で測るより、その時間で何ができるかで量った方が良いのかも。夜の通話タイムのためだけということでもないが、昨日は帰ってから諸々してここで書き終わるまでに2時間半だった。何を凝縮させているのかは分からないが、読書プラスシャワーで50分くらいで、日記プラス晩御飯で1時間。料理とアイロンがけなどで30分程か。睡眠時間が増える。

今後は早く終えていっぱい話して起きてからPDF採取とかするか。

書いていることしかしていないという意味では、僕の存在と記述された言葉はほぼ一致しているとも言える。

さておき。

起きてさっそくPDF採取。判断力批判を下敷きにした「生の促進としての演劇」。朝と帰ってからで読み切った8頁。感想はあとで。

調子良く生きているにも関わらず、本日のお仕事はなんだか調子が悪かった。ただ、これって見落としとかうっかりではない。素朴な調子で行ったから、仕事場と拍子が合わなかったという評価。きちんとし過ぎようとして相手に反発されてしまった。もっと緩く言われたまま処理方法を教えたら良かった。自分が動いている現象に対して皆が皆、言語的に表現できると思ってはいけない。

でも、この失敗、個人的には悪くないと思っている。特に何か問題になる訳でもない(古参の先輩がその後、案内してくれていた)し、僕の本来の調子は割と外れていて、この人格で社会に参戦できてきたという意味で。バランスのかじ取りを、自分の拍子を落とすことでしようとしなくなっているのは良き傾向。釣り合いを取るハードルが高くなるのだが、別に自分の意見を言えないことはないし、誰が決めたか知らない正解に従って生きたくないし。生来的に合わない人に調子を合わせるより、合う人ときちんと接する方に重きを置けば良い。

まだまだ移ろいそうだ。

どうでも良いが、空き時間にExcelの関数の一覧を眺めていた。なんか使えないかなって。
デジタル視点も楽しい。(転職への備えか?)

「値を返す」ってプログラミング言語知らないと全く意味分からないだろうが、日常の言語でも全く読み取れないことはある。定義がブラックボックスの言葉で読み取ってくれと言われても分からない。もちろん詩的言語的語用であれば眺めるものだから分かるが、汲み取って欲しいなら汲み取れるひしゃくを用意するものでは。読み手の自前のとは型が異なるような。

仕事の雑談のリスナー。
また、猛威をアピールしているアレ。マスクやらなんやらで、「何が正解か分からない」という発言が出てきた。僕はリソースがちょっと違うとこからだから、この原因はマスクにも一因があるというのはまぁまぁ正しいと思っている。思うという意識するだけで息苦しくなる。

別に法律で規制されている訳ではないのだから、正解は個人の中にある。
他責にできるのは、誰かが、皆がそう言っているからだという論拠っぽいが、風邪を引かない正解の方法がないとか、死なない方法はないとかに対して正解を求めているような。

していることに対して効果があるってお墨付きされると楽なのは分かる。

話題で、万博のキャラが気持ち悪いとか出てきたが、全然分からない。
その後調べたが、僕は情報源をテレビとか流行にしている人の層ときっと雑談できない。それでも人と話せるのだが、これって相互に存在を認知している相手限定なのか。

世界の外の事をあえて話題に上げる意味が分からない。
もちろん、それが自分にとって何某かの影響があるという意味なら分かる。

時間が押してくる。

演劇欲求があるのはなんでだろう。
冒頭に戻って来て、演劇は「生の促進」だからだという話。

カントさん曰く、生の実感は抑止と促進の狭間にしかなくて、これを現実世界でやるとバランス取れなくなって退場願望が芽生えてく可能性がある。でも、演劇は戯れとして生を促進させるのだとか。

たしかにこれは何処かの非現実という意味では、某ランドに行くとか、ライブに行くとかなんでも非現実を体感することで実感としての自己存在を捉えるというのはある。要は、生活上の存在は自分が他者と未分離で、集合体になっていて、息抜きみたいな感じで自分で居たいということなのだろうか。

自分で在るために何かが必要かという感覚が、素朴な自分には分からない。

ガルシアマルケスさんの小説を読んでいて、これは美に触れているのだなって感じたけど、この自分が誰かに共感されることに何の存在的な意味もない。

この辺りを突き詰めて見るのが良いのかも。

演劇は観に行きたいな。

おしまい。

おやすみなさい。

良い夢を。

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