ちょっと変な夢を見て、僕の夢は未来とか今とかには向いてなくて、あくまで過去なのだろうなと想う。起き抜けに世界線が離れた人達の幸せを祈る。今より以後は祈らなくてもできるのだし。
内臓を鍛えることができるのかを考えているのだが、夢に出てくるものをコントロールすることは可能なのだろうかも考えてみて良いのかも。夢の感触は現実の流用だが、現実の感触が流用ではないと言い切れるだろうか。
さておき。
拍子がズレていることを自覚したからか、仕事の調子が割と良かった。自分の仕事の調子は声が開かれているかどうかで判断している。悪いときは声を出すときに2割増しくらいのエネルギー消費がある。これはすなわち外界に向けた言葉を出すことへの消費率。雑な発話で濁すようなことはできないから、もっとここは磨くべく。
とはいえ、今は暇な時期。せっせと知識を復習しても良いのだが、すぐ外部から確認できることは特に内部に搭載しておく必要がない。必要なのはメカニズムなり、考え方なり、コンセプト。システムの理屈とか動機なんて、趣旨に変更があれば正しくなくなる。
なんなら、ごったな知識は全て忘れて良いとしている。天邪鬼傾向の効能なのか、意識的に忘れて良いとした方が残っている。というより、「覚える」という雑念なく注視した物事の方が純粋に収納できるのかもしれない。世の中に蔓延る記憶術が通用していない。まぁ知識を増える物としてないからか。
暇な時間にまたまたExcelの関数を眺める。入力された10進数を2進数に変換する関数があった。これが何に使われるのかは全然分からない。コンピューターのバイト数の関係なのかも。ここでは1+1は10になる。
個人的に2進数苦手だったから、紙に書きながらメカニズムを考察していた。なるほど、位の数は2の何乗かに対応している。例えば、101であれば、2の2乗が1個、2の1乗は0個、2の0乗が1個だから、4+1で5になる、みたいな。
この考え方が分かったことによって世界が変わることはない。ただ、個人的には自分がスルーしてきた観念を攫い直せたという意味での進歩ではある。何かに使えるかどうかを問題としながら収集していくのは、僕の性には合っていないらしい。経験則も特に積み上げ方式ではないから、アイデンティティと経験が連動しない。
よし、ゲームをするためにとりあえずJavascriptでテトリス作ってみよう、となる。
もちろん、自分が培ってきた物事によって自分の価値とか人格が決まるという説も分かるし、これはこれでメリットがあるから、その世界観に特に疑義はない。正しさの設定がとても楽になる。決める前に決まっているのだが、従うのは仕方が無いし自分のせいにはならない。
ここは人それぞれだからどうでも良い。
僕の話。
本日のPDFも引き続きカントさん。美的経験とは何ぞやという話。
主観的な快適でもなく、客観的な善でもないのは美的感覚だというのは定義的にややこしいが、言葉を当てるのであれば適切だと思われる。自然の流れとか人の仕事の洗練された動きに美を感じるが、対象を留めたいという欲求はないし。
そのうちまとまった論考を書き綴りたいところ。
冒頭に、何を望むべくかの範囲の設定みたいなフレーズがあって、なるほど、美って美しいと感じる対象を望める可能的な範囲ということなのかと想像。まだ読み切っていないので。
内観なのに普遍的であるのだから、そりゃあややこしく言語化するしかない。
そういえば、「美学」もやっとこさ1周目が終わり、巻末の用語辞典を眺めてから2周目に入るところ。なんか詩作も、本来は詩作作品そのものに美的対象性を帯びさせるところに主眼があるのではと思ったり。読まれることは動機にならないような。読まれることは善いことだとしても、中から言葉を手段にして美を取り出す行為であるべきでは。
人間の存在って観念化している節があって、特定の個が物理的に滅んだとしても存在が残ることがある。そういう風に残りたいのであれば、自分のあくせくした内観を対象に描くのは悪手よなと。
残りたいのではなく居場所にしたいという動機で書かれた詩作は、美的対象性まで昇華できていない。何様だが、読み手としては違いがあると思われる。
やれやれ。
今度はkindle本のこと。どれだけ読んでいるのだという感じだが、文字を景色としてしまえば可読量が上限突破する。おすすめはしない。
いつかの日記で書いていた、日本の刑法の歴史上の移ろいが知りたいが現実化されている「刑法の社会学」。死刑の仕方の苛烈化は戦国時代が最上位で、法学者が書いている書いているから現代刑法との繋がりも論述されている。
今となっては古代の時代に「ノリ」と「ツミ」の観念があったらしい。気になったのは「ノリ」。法規範(不文のルール性)みたいなこと。個人が決めようがないルールを「ノリ」として継承していた。ん、これってもしかして現代における「乗りが悪い」という語用における「ノリ」と一致してないか。ノリが悪い人物はその集団から排除される。
こういう規範の理屈はなくて、単なる歴史上の地続きだから、そこで生きている人は言語として表現できない。もやもやしたり、なんとなく嫌な感じがしたり、穢れを感じたり。
こんなのを見てしまったら、僕は一生したり顔できないと思う。
もともと自己規範は無いし、他己規範ばかり見てきた。
日本における罪悪感の観念は、キリスト教観念の原罪ではなくて、他人が普通にできていることをできないという村っぽい感覚っぽい。
僕はこういう意味合いの罪の感覚は排してしまったらしい。ツミの感覚がないと人に優しくできないなんてオカシイし。
更新可能性。
はい、本日はこんな感じでおしまい。
おやすみなさい。
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