たかたか

22:51から。

満月さんがおにぎりをこさえてくれた。

ありがたや。余裕が戻って来た模様。

ともあれ。

どうでも良いけど、3ヵ月ぶりくらいにnoteのダッシュボードを見たら今週のビューが257もあった。いったい何処に僕の文章を見るような人がそんなに居たのか。嬉しいというより、不思議な感じがする。好きに読んでくだされ。

次眺めるのは半年後くらいにしよう。

さておき。

お仕事。

なかなかお仕事が溜まる。デスクに仕事の書類が積み重なってくると自分が無能なのだなという気分になる。いや、ちょっと嘘。無能かどうかというより、タスクが入ってくると優先順位が歪んで能率が落ちてしまうことが困る。頭の中がゴミだらけ。ほんとは事務方(先輩女子)で片付くレベルの仕事ではないかと思う案件も多々ありそう。

メインのお仕事自体はまぁまぁ調子が良い。結局優先順位的にはここが最上位だし、人生劇場的にも全てを上位におけることはないのだから、物理的には全部をカバーすることはできない。ここでの補助線として、自分の為の優位なのか、自分がしたい優位なのかが重要だと思ってきた。

自分の為というのは「所有」の概念で、自分の立場が悪くならないような順列。

言わば現状維持の守りの劇場。イレギュラーがあると他責にする。

先輩女子にイライラするのは、こういう仕事しかしてないところ。別に劇場としては問題ないと思うのだが、たぶん、よほどスキルを磨かないと人望とか情けは集まって来ないと想う。スーパー事務がイラつくのもこういう人格のところ。

(本日ストレス過多なもんで口が悪い)

自分がしたいというのは、攻めの方で、あんまり自己像を気にしない行動重視の方。

動機って基本、自己像からの好み⇒行動という流れの間だと思うが、個人的にはそういうことにしていない。どちらかというと、相手の為にした行動によって自分が嬉しかったり楽しかったりするだけであって、現状(自己像)が崩壊する方に向かう。

この視点から見た方が退場したくなるほど自分が足りない。

知識というよりも経験があればもっとできたという現象が多すぎる。

追いついて来た部分もあるのは否めないけど、一生足りないのが人間。

足りたら何も動けない。いや、動かなくて済む世界を求めている人が多いから現代社会の諸々の文明の利器が産まれている。手書きの日記じゃ追いつかない思考の流れを書き留めることができるキーボードは必須。手書きだと文字が遅すぎて変なことになる。手書きしかない時代だったら書き留めきれずに、文章を書くことからフェードアウトしていたと思われる。

やれやれ。

ストレス過多の話。

ストレスが累積して耐えられなくなると、視界に入ることの今日容量の閾値が下がる。

別に誰かに当たるとかはないのだが、視界が整っていないことに耐えられない。

例えば、冷蔵庫にある消費期限的に食べられないおかずとか、お風呂場の排水溝から避難させていた毛玉とか。見るに耐えなくなって全部ゴミ袋にぶっこんだ。片付くのを待っていては間に合わないから自分でデトックスするしかない。

断捨離とかミニマリストが流行っているけども、これって、ストレスの閾値が低くなって来ている人が多いかなというアクロバティックな思索が起きる。こういう文脈なら気持ちは分かるなって。僕も前の住居で本がパンパンで他の人から見ればゴミ屋敷みたいなところで生きていたけども、ミニマリストではあったと思われる。自分にとって無駄なものは無かったという意味合い。元カノの手紙とかもだいたい捨てちゃっていたし。

ちょっとずれたが、自分の為の極致がミニマリストだったり断捨離だったりな気がしただけ。好きに生きれば良いけど、そんな人に誰かが入る余地があるとすれば、その世界観を壊さない人だけ。

いや、断捨離アンチだと思われそうだが、結構賛成派です。

あんまり使わないものは置物だから、処理して構わない。我が家の物置のおそらく1000冊くらいはありそうな本類も選別して100冊くらいまで削って良い。発掘したら今に合う本もあるかもしれないが、我が家にまともな本棚が無いもんでタイトル選びができない。

もう少し考えると、物が生活空間にあるということは適度なストレスで、割と必要な気もする。そんなストレスに耐えらえない人が、別に番を必須としていない現代社会でパートナーなんて得られないのではって。

いや、パートナー要らない世界もありだと思う。

パートナーをサブスクするのは古来からある業種だし、マッチングアプリもその亜種だし、良いと思う。いつでもチェンジできるパートナーって結構互いに需要がありそう。

儂は興味ないけども。

だって、そこを前提とした関係って、全然面白い話ができないし、おそらく具体的ななんやらでも大したことがない。

それを前提としない、友人関係でも無く面白い話ができる方が楽しい。

関係に対する責任を負わなくても、ずっと一緒に関係できるし、なんなら10年越しとかでも再会して恙ないくらいの関係の方が楽しくなかろうか。

いや、まぐわいだったら物理的な責任になってくるから話は違うけど、基本的には責任は男女等価だと思っている。こんなこと言うと女性性の方が重い層から怒られそうだが、あんまり気にしない。たぶんこういうこと書いてもキーワードに触れていない限りそういう層は来ないだろうし。

誰か(他責)で自分が安心できるという概念を辞めてしまったからこうなっているもんで、きっとあんまり理解できないと想う。いや、この劇場、楽しい反面、不安が半端ないからあんまりおすすめはしない。不安定が常態だと安心して思考を止めて良いというタイミングがほとんど無い。

寝ましょう。

おやすみなさい。

良い夢を。

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