22:11から。
ちょっと調子が悪い。
だもんで、ちょっと変なことを書くかもしれない。
調子が良い時も変なもんを書いているのだが、それはともかく。
自己分析の話。
胃痛。
昨日が一番ひどかった。この症状が出るのは、自分が迷惑をかけているとき。生きている時点で迷惑と言えば迷惑という層の人間だから、特に普段生きているときにはどうでも良かったのだが、もう今の劇場はかつての普段ではない。ほんとうに諸々詰まっている。忘れて抜けているのではなく、項目はきちんと把握しているのに気が付くと通り過ぎてしまってぎりぎりの綱渡りになる。
完璧主義な訳ではないけれど、なるべくきちんとしたい。
受動的なマルチタスクはできるけれど、能動的なマルチタスクができないもんで、しないといけないことが積み上がっているのは苦行でしかない。いや、そのうちできるのかもしれないが、できるようになった自分が好きなのかというと、何か違う気もする。
胃痛を回避するためには、他人の存在の優先順位を下げるしかない。
自分が何か誰かに攻撃されたり悪口言われたりみたいなことはとんとどうでも良い。この誰かからの言葉を気にするって、褒め言葉も同じだと思う。この文脈だと、きっと無くなったら苦しくなる。
僕の胃痛は環境が変わったからで良いけれど、別に外界に影響された他責なものでは無くて、あくまでエゴ的な身体の影響だから、この先どこに行っても逃れられないのだろうなと分析している。そういう舞台に上がってしまったというお話し。
10年ほど前には逆流性食道炎めいた身体の影響があって、自分を蔑ろにされて身体が滞ってしまって、その潤滑油の為にアルコールを過剰摂取していたのだが、今となるとこれも結局自責でしかないなと想っている。つまらない人と一緒に過ごして居たもんで、水準を下げるためにお酒を使うしかなかった。逆から見ればきっと僕の方が下なのだが、人間の認識は物理世界とそれほど連動していない。上下とか左右とかも概念だし。
満月さんが、自分の劇場において「理不尽」が一番嫌だと言っていたところから発想したお仕事分析。
調子が悪いと変なところが目に入るという話を前に書いたけれど、本日想ったのは、「矛盾」が気になるのは調子が悪い証左だなと。
一般的には統合された人格とか一貫性がある人格を持っているのが「人」とされているけど、個人的には人が矛盾なく存在できるはずがないとしている。統合とか一貫性をどう定義するかにもよるけれど、見たまま自己観測された自分は、どういう視点で見ても無矛盾でも一貫でもないから、他人にそういうのを求めるのはオカシイ。
これがおかしく無くなるのは、普通とか当たり前が存在する社会というバーチャルの舞台の上であって、たしかにここで求められるふるまいをできない人は別の枠組みに入るしかないのかなと思う。僕のイメージでは大縄跳びができるかどうかくらいの感じ。
この標準はとても分かりやすくて、特に相手の話を聞いてナカミを把握しなくても判断できる。ただ、ここにも階層があって、一発アウトな部分とか、まぁ自分とは違うけれどまぁ良いかの部分とか、諸々ある。
女子が僕の前で放屁をすることは問題無い。生理現象だし、すっぴん状態とあんまり関係ない。ただ、これを公共社会の場でも是にする人はどうなのだろうなと。そういう人は公と私の区別がついていないから一発アウトかも。いや、別に公共の場ですっぴんで居ることは特にどうでも良いから同列ではないのだが、一般的には同列かもしれないからなんとなく同じところに乗せてみた。良いオトナなので女性に無駄毛が無い、整えているのが当たり前だという感覚もない。
個人的に公共の場で一発アウトなのは、歩き煙草と唾の吐き捨てかも。歩き煙草は時代だからやっていたが、今煙草を吸いたかったらそういうことは辞めて欲しい。より肩身が狭くなちゃうもんで。唾は意味が分からない。何を公共に排泄物を吐き出しているのだと。ニュアンス的にはインターネット空間で誰かを攻撃しているということとちょっと近いのか。匿名だろうと排泄物は排泄物。
僕も匿名的な世界で文章を書くことは、無責任な排泄物だと思っている層ではある。
どんなに調えても他責な舞台だと排泄物説。だって、自分の言葉に責任を負わなくて良いとなっているもんで。
きっと生理現象だと思っている人が多い。ここでの生理は例えば、世の中が悪いとか、浮気する有名人が悪いとか、変な政策をする政治家が悪いとか。
(神谷さんは変なことばかり書いていてあんまり読解できない(良い意味)けれど、自責な世界観が良いと想う)
そうして、店長談。
本日仕事で失敗したなと思って案の定失敗したあと、駄目出しがあった。
変な話、申し訳ないけどちょっと頓珍漢なコメント。
余談だが、頓珍漢の語源は鍛冶屋さんであんまり上手くいかなかったときに鳴ってしまう音らしい。
曰く、「色んな知識を得て、話したいことがいっぱいあるとおもうけど、硯さん喋り過ぎ、知識を得る前の硯さんはもっと話を聞いていた」とのこと。
別に反論しても結局成果にはならないからしないのだが、個人的には試行錯誤をした結果というか。話を聞いているだけでは店長が求める結果にはならないもんであくせくした結果、変な空気になっただけ。
このクライアントさんはきっと戻って来ない。
僕がプレッシャーをかけ過ぎたらしいし。
別にそれほど仕事で必要以上に知識なんてひけらかしたくない。
発話し過ぎると変なことになるのはもうこの人生で当たり前だもんで、だいたい口をつぐんでいる。僕の中で当たり前なだけだから、「沈黙が金」みたいな一般論にはできない。
僕が店長に上がるかはともかくとして、店長はバランスが悪いのはたしか。できる人だけど、店長のアドバイス通りで決まったことがあんまり無い気がする。やり方がきっと違う。
店長が聞いていない時の応対の方が成功率高い気がする。
ここはどうでも良いのだが、「硯さんはもっと営業した方が良い」というアドバイスに従ってやってみたら、「営業し過ぎて相手から引かれている」という発言が出て来たのは意味ある失敗だと思っただけ。
この駄目出しは一見矛盾しているけれど、期待値より外れて失敗する部下という認識になったのかどうか。僕は別に失敗はどうでも良い。抜け落ちるのは自分が困る。
ここで思う、仕事舞台の話。
売上で言えばここ何カ月も店長と同じくらいだから、知識の水準だと教えられるしかないのだが、営業の水準だったら対等にお話ししても良いのかなと思うのだが、プライドが高すぎて面白いお話しができない気がする。
教え方について発話したら絶対怒られそう。
僕が想ったのは、駄目出ししかしない上司って、部下をあんまり人間として見ていないと見受けられるし、まともな人は自分が駄目だったところなんて把握しているから、その目で見た良い部分を言ってあげた方が良いようなって。
駄目出しって、自分が足りないところを指摘されてここを足せば良いということでもないから難しい。僕の今回の駄目出しも、普通の時の方が上手くやっているけど頑張ったらやり過ぎだよという感じであって、普通の時の何処が仕事上良かったのかが分析できない。
今はそういう時代では無かろうか。
いや、僕はこのお仕事で、頑張らない方が上手くいくもんで、店長の頑張って頑張ってというのには情で残業時間に付き合っている気がする。共感はしても同情はしちゃいけないと当人は言っているけども。
スピリチュアルの話で、今は風の時代で昔は何の時代か忘れた。頑張るが当たり前みたいなエレメントだったような。
頑張ってきたことがほとんど身についていないが、頑張った経験はあるから頑張っている人の感覚も分かる。自分の世界に不具合を感じるなら、Xなんて見ずに興味がある分野の本を読んで自分をぶっ壊せばって。
自分を壊せないから、理不尽が起こるのではとか言うと怒られそう。
僕はもう頑張れない人になりました。
頑張って何かすると胃痛になると体からのサインがある。
頑張るという動機が無くても、人は稼働できますという世界観。
とりあえず、本を読むことと、文章を書くことに対しては胃痛が起こらない。あとここに毎日一時間くらいの散歩があれば最高。
別に今のお仕事に特に固執が無いから、変なことになったら3年までは働いて転職できるというスタンスではある。今のところ辞めるつもりは無いけど。
うむ、やはり変な話を書いてしまった。
こんな感じでおしまい。
良い夢を。