数と質

22:43から。

むっとする感情は自分のものではないのかもしれない。1人で居る時には起こらないものだから。

お仕事。

まぁ寒い。職場の空調が悪いのもある。足元が冷える。体の上部だけ温まっても頭が回らない。

あんまり言っても良くないけれど、店長と先輩女子の人に対する弄りはなかなか冷血漢だなと感じた。辛辣過ぎるし、変な話、協力と概念が無いのではないかって。遅いって言われるのも、中身ではそれをする時間が無いんですと反論したいところだが、なんとなくへらへらしている。

見えていないことを認識してもらうってなかなか労力がかかるし、たぶん成果にかかっていないと一蹴される。ここの認識は僕にもあって、すぐ成果に成らないクライアントが溜ってくると、ずるずると時間がかかってくる。だから、僕の仕事の遅さは、作業スピードではなくて、無駄に抱えているクライアントが多いと言う意味合いと読み解けばいい。

こんなのなかなか解釈できないから、一瞬人格否定されていると錯覚してしまうのが冷血漢の弄り芸。いちいち言語化してくれないから解読が難しくて困る。店長と先輩女子の波長が合うのは、語弊があるかもしれないけれど、「他人のことがほんとにどうでも良い」というところにある。別にここについて、良し悪しを語るつもりは無い。ルソーさんが語っているところの、「自尊心」が強いだけ。

もう1つの概念で「自己愛」というものがあるらしい。自己愛は自己保存の生物の本能由来っぽい。ここから、相手のことも道徳的に慮れるよねという話。自尊心というのは社会上の立ち位置みたいなところ。自尊心をどれだけ積んでも自己愛は補充されないみたいな意味合いなのかな。

個人的にはどちらもあんまりしっくり来ないのだが。

おそらくこれって、どちらも自己認識が他者というか世界からどうかという話。ひきこもっている人もそうなる。

僕はそんなことより他にやることあるよねという気分。

劇場で出てくる人物にいちいち腹を立てずに、人の振り見て我が振り直せの人生の方が良い。

そういえば、僕もそんなに細かく言語化しない。

そもそもそんなに語りたくない人だから、聞いてくれそうな人にしか話さない。

ここには聞いてくれる人が居るっぽいもんで書いている。

ほんとは書かなくても過ごせる模様。別にコップから溢れ出したことを書いている訳でもなし。

「我が振り直せ」の概念だけど、成長とか向上みたいなことではない。

相対的というか社会的に自分が劣っているかどうかなんてどうでも良い。ここはあくまで時代ないし時期の問題だから、ステージも変わっていくから気にしても仕方ない。

それよりも独りのときに自分が嫌だと思うところ。ここはステージの移り変わりによって薄まっていくかもしれないけど、嫌な部分は結局一生ものだから、ここは直さないと関係じゃなくて固有の劇場としてずっと生き辛い。

僕の話だと、部屋が汚いとか、違法ではないけども過剰摂取が社会的に推奨されていない物を摂取していることはどうでも良くて、人を傷つけてしまうことが嫌だった。

まぁ人なんて勝手に傷付くし、どれだけ気を遣ったところで僕のコントロール下では無いという認識に至る。結果的に冷血漢だが、僕としては気を遣っている。ここはあんまり僕の劇場ではないなって。

個人的な劇場だと、課題というか行動へのラグが嫌だったから、やる気あるときにしか動かないみたいなことを排している。気分が乗らないからご飯を作らないという劇場は無い。僕は日常ご飯をなるべく自炊でやりたいから、時間が無いから外食にするみたいなことは、何かの試験の日だけにしたい。

もちろん、おそらく満月さんは僕が晩御飯当番の時に気分が乗らなくて作れなかったことを赦してくれると想うが、別にそこに甘えて生きる気もないという。作らないことが嫌というよりも、外食ばかりで生きると胃腸が大変というだけ。

あと、満月さんにてきとーな外食を食べさせたくないよねって。

僕の劇場だと、外食に対して贅沢だという概念ではない。

単に外食は飽きるというだけ。不特定多数用に作られているからオーダーメイドできないということもあるし。

なるほど、満月さんを気にせずに自分でおにぎりを作る劇場もあるのか。

母親が送ってくれたお米が有効に循環できていない。

コンビニおにぎりはカロリーメイトだもんで、美味しいとか満腹にはならずに単なる栄養補給でしかない。

自炊が良いのは、お金かけてもできないカスタマイズができるからであって、食材が良いからみたいな特に美味しいご飯は身体があんまり求めていないだけ。

別に誰に対しても美味しいご飯を作っている気は無い。

食べるのは僕と満月さんだから、それ用であって、例えばお母様に食べてもらうんだったら別のカスタマイズがあるに違いない。

これが料理人の劇場か(しらんけど)

やれやれ。

ちょっと美文に触れようと思って、森鴎外さんを採り入れた。

「高瀬舟」、めちゃくちゃ面白い。高校時代の国語の教科書にあった記憶。高校生に読ませる文章ではないなって。

面白くなったのは、経年ではなくて、社会経験とは別に小説を読み漁ってきた別の軸の経験。普遍的な小説は残る。これが文章としての芸術だろうなって。この歳になっても読めない漢字が多いんだが。

普遍的な作品を書けるような人は自尊心も自己愛も満たされないギフトで生きる人だけど、もうおそらくそういう人は日本には産まれなさそう。

知らんけど。

はい、ここまで。

おやすみなさい。

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