22:24から。
お仕事。
昼ご飯を食べそこねる。せっかく満月さんがおにぎりをこさえてくれたのに。
仕事の終わり際で食べたから、おにぎりができてから10時間くらい。
それでも愛は冷めない。
うまうま。
あれ、これあんまり仕事の話でない。
お仕事(2回目)。
本日はほとんど店舗に居なかった。
大変でもない。余力というか余白があると特に仕事も堪えない。
たくさんのお客様の話を聞いていると、人のことを責めるような話し振りの人に対して「我が振り、我が振り」と聞こえるようになってきてしまった。誰かの否がやたらと意識されてしまうということは、当人の世界の中にそういうものがあって、メタファーというか換喩として外の世界にそれが見えてくるという説。
ちょっとフロイトさんとかユングさんちっくだが、別に精神の極致のときに限らず、日常でもありそうだなと想っただけ。当人の世界の中に他人が認識されている人は、他人の気遣いの方がより意識されて世界が平穏になるのでは。
これはまさに僕の話で、単純に目に見える世界だと、色んなことがある。例えば某アイドル歌手さんが亡くなったとかが知りたくも無いのにニュースで流れてくるし、YouTubeでてきとーに流していると、猫動画ばかり流れてくるし、情報自体は選択できることもあるし、できないこともある。
ただ、情報のどれに重きを置くかとか、解釈を変えるとかは意識的に操作が可能。
本日の満月さんおにぎりだと、1個に梅干しが入っていた。僕が梅干し好きだから入れてくれてありがてぇ。満月さんは僕の好きな物を知っているから当たり前だとも解釈できるけれど、気遣って入れてくれたと解釈した方が平穏。
期待するとしんどいなとふと思ったというフレーズをここに入れると不穏な文脈になりそうだが、個人的にはそうじゃない。僕はそもそも予定があることに対してまぁまぁ座りが悪く感じる。ここだけに絞れば営業職に向いてない。予定(アポイントメント)を創ってなんぼの仕事なのに、それにむずむずするとは。
これってなんだろうなと考えると、未來が先取りされると今の身動きが取りづらいからだろうな。その予定のために「いま」身構えないといけない。この今の身構えが「期待」ということでなかろうかという説。ほんとにどうなるか分からないのであれば、直前まで未定の方が楽。仕事であればきちんとアポ取った方が身構えて他の仕事できるから楽なのだが、プライベートだとまた違う。プライベートでは社会時間上の未来より、より今の方が大事。
お仕事で系列店の席を借りたときにそこのお店のスタッフの仕事振りを観測した。
商品が豊富だから、お客様にとっての当たりがどこにあるかを探り探りできるんだなと。あんまり羨ましくも無い。人にとって処理できる情報には上限があるから、余計な情報量はお客様にとって負荷にしかならなくて、そういうやり方は好ましくないなって。
学習になったのは確か。
なるべくお客様に負荷をかけない方向で、いい商品を提供したい質なんだと我が振りを見直す。
僕が氾濫する情報に辟易して情報化社会からほとんど離脱しているし、選択できることが「贅沢」だという観念がないからだろうな。迷う時間って、時間の使い方として贅沢だと思うが、僕にとってはこの間が割と無断だと思う。その時間を本を読むことに回した方が豊かだし、本当に贅沢なのは、自然の中でぼーっとするか、なんならきちんと煙草を吸って時だけを食べる時間。何とも交換されない時間を味わえるのが上級者。
この流れで、迷わないといけない項目はAIに決めてもらった方が時短だよなぁ妄想している。次食べるご飯に迷うより、栄養状態と何を嗜好しているかをAIに学習させて、次はこれを食べた方が良いですよと多くても3択くらいにする世界。外食産業って広告以外にお客様に営業しないから、変に広告で競争するより、公平なAIが選んであげた方が良いような。
でも、「自分で決めている感覚」こそが人間であるとなると、ちょっとしたいざこざがありそう。ただ、結局のところどれだけ選択肢があったとしても物理空間では1つしか選べないから、迷う時間を他のことに回せるという意味では有用だと思うのだがどうだろう。
僕は食に対してあんまり迷わないから、こういうAIの導入は無くても良いのだが、健康状態と連動してくれたらより楽になるような気はする。鉄分不足ですよー、ビタミン不足ですよー、アルコール過剰ですよー、免疫力が足りてないですよーとか、親に言われるより説得力があると思う。
「食」って人の人生劇場の表現だから、客観的に物理的な身体に必要な物ばかり食べていても生きていけない。料理人の時間を食べている感覚が起きる外食は美味しいが、日常的に摂取する物ではない。
さておき。
どうでも良い話。
仕事量が他の人と比べて過剰に見える。たぶん自分のことを守れていない。まぁお昼ご飯は別に確保すべき時間ではないっぽい。
でもなくて。
こういう状況を明日スーパー事務に語るときにどうしようかとなったとき、「我ながらよくやっているなーと思います」と表現しようと想う。「頑張っている」だと僕が仕事に対してしんどいというニュアンスがある。そもそも頑張っては居ないのだが、あんまり仕事に苦痛を感じていないというニュアンスだと、周りに対しても普通にこれくらいのことをやるのが当たり前という感じになる。
「よくやっている」も、自分を労わないとやっていけないというニュアンスがあるのだが、それくらいの感じならまぁ良いかなっって。個人的には労っている訳ではなく、客観的に観測して、仕事量多いなぁという他人事感だが、この感覚はきっと伝わらない。
愛に溢れているもんで。
とか書くと慈愛として解釈されそう。僕が愛を振る舞うことが僕の存在価値に交換されている、みたいな。
とんとここはどうでも良いのが中身。色々学術畑を均してきたもんで、ひと通りの「人という概念」は分かる。経済学畑と心理学畑はとても近い。交換できるものに対して何か行動するのがここでいう愛っぽいことになる。僕としては交換されない(情けをかけるのが人間だ)という感覚もなく、単にできるからやっている訳であって、別に返って来ることを求めていないのが愛。だから募金が嫌。同情で動くと際限が無いし、同情で動いている人は、結局好き嫌いでそこの幅を決めている。
愛とは交換できないし、自己充足とは無関係であふれ出るものなのでは。
本能的なところと結果的には一緒かもしれないが我々本能からはやや離れてきた時期っぽいから、本能に一義的に還元されない。
やれやれ。
そういえば、本日お休みの満月さんが猫の下僕と実家に行って、ぷりぷりして帰ってきた。
せっかく髪を切ってすっきり可愛くなっていたのにもったいない。
満月家は僕が居ないと場が上手く回らない説。
割と言説が冷血漢の不器用な人ばかりなのか、ほんとに個々人の世界で生きている世界なのかは知らない。
満月さんのぷりぷりの原因は、硯家の部屋が掃除できていないことについて、猫の下僕が実情を語って、家族総出から五月蠅く言われたとのこと。プライベートのことなんて親に言うことではないって。
たしかに関係ないことだし、生活している当人達が気にしないのであればどうでも良いこと。少なくとも僕個人は、生活感が無い誰でもやって来られる部屋にするつもりがないからどうでも良い。生活上で回すキッチンと衣類の洗濯ができればそれ良い。別にここに招きたい友人も居ないし、居たところでリビングくらいすぐに掃除できるレベルだと思っている。
これを「我が振り」のものさしで測ると、僕のプライベートが満月さんから満月家に流れているのは否めない。小躍りしながら生きているプライベートが伝わったところでどうでも良い。なんなら、職場の人に伝わったとしても、おそらくそんなことしても然るべき奴だという認識だろうからどうでも良い。
隠すことが無いし、隠そうとしても漏れてしまうことを是とした劇場。
満月さんが感じる満月家の居心地の悪さは、僕がその場に初出した時に感じたままなのかもしれない。誰もが誰かの否を表現して弄っていく場という感じ。
僕が居るとあまりに否であって弄りが集中するもんで、馬鹿らしくなって平穏になる説。
小躍りしながら哲学していても、そんな内部は読み取れない。
あぁ、満月家は居心地良いと思っておる。
皆さん唯我独尊だから無駄に気を遣わなくて良いもんで。
今後あるべき世界線としては、勝手にキッチン使って晩御飯を作っちゃうとか。
無駄にというのは、相手の自尊心を破壊しなければなんでも良いという感じ。
満月さんにとっては僕が同席しないと自尊心を破壊される場なのかもしれんな。
公私で言えば「公」という感覚なのも面白い。和めるのが家族なのに、お仕事的に気を遣わないと場に馴染めなさそう。
知らんけど。
はい、ここまで。
良い夢を。
おやすみなさい。