時間を気にするのは睡眠だけ

22:21から。

どうしよう、毎日が楽しい。

無根拠ではないのだが、どう説明したものか。

順を追って。

昨日はお休みだったのが、仕事の日より疲れて飲みタイムもそこそこに寝た。

今朝は朝活で、お風呂に入ってぬくぬくとしながら本を読んだ。

もっとゆっくりしても良かったが、満月さんが会議と言って出て行ったのにすぐ帰ってきていたもんで、遊びに行くためにそこそこにして朝ごはんを食べにいく。

満月さんはぷりぷりして帰ってきた。

話を聞いてみると、職場の上層部からシフトについて理不尽なことを言われた模様。

職場が家族めいた人間関係を構築していたのは、1つどころではなく2つくらい前の話であって、どれだけ人間ができている上司が居たとしても、自分のシフト上の休み希望を返上するような人は、上司との関係が上手く行っている人では無く、もともと単に気遣いできる人でしかなく、手腕の話ではない。

僕が満月さんの立場であれば、そんなこと言われたら、そもそも1店舗に社員が2人以上という体制が普通なのに、我が店舗1人しか社会が居ないので回るはずが無いのですが、そこは会社の怠慢じゃないですかということがダイレクトに伝わらないように婉曲的に言うと思われる。

満月さんも会社の怠慢の尻拭いをさせられているところに理不尽を感じてモチベーションが下がっているのだろうし、外から見ると、このままいくと有能な社員を逃しうるのですが、それは上層部が満月さんと人間関係を構築していないからでないですかとカウンターでそう。

こういうのは基本やらないのだが、やろうとすればできそうだなと、今のお仕事をしていて思ってきた。あんまり外の自分を守る気はないからしないだけ。

朝ご飯はなか卯でしっかり食べた。

美味しかったのだが、変な話、自分で作ればわざわざ行かなくて良いよなという気もした。

満月さんに、「硯さんが朝ごはん作ってくれるの?」って言われたのだが、本日のなか卯のメニューだったらできそう。ただ、気分が乗らなかったのもたしか。

何故かというと、本日はシンクに洗い物が残っていたし、鍋もすぐ使えなかった状態だったし。

こんなことを書くと満月さんは私がやれてないって凹んじゃうのだが、そうじゃなくて、僕はやっていない人を責めている訳ではなく、自分がすぐ動けるのがそういう状況だという認識。別に綺麗好きとも違くて、5年くらいずっと自炊している時にそういう風にやってきただけ。どれだけ酔っぱらっていても明日の自分に洗い物は任さないようにした方が、明日の自分が稼働してくれる。

と、これを抽象化していくと、やる気とか気分のメカニズムって、内部の精神ではなくて外部の状況によりけりであって、意志めいたものとは無関係なような気がしてくる。外部状況と無関係にできれば超人だが、普通の人は外部状況をきちんと整えることでやる気が起こるという時系列が逆転している現象。

本日の遊びは早々に退散したもんで、洗い物をする時間もあった。

そこからスタートして、リクエストの天ぷらうどん(てんぷらはお惣菜)、蕪の浅漬け、だし巻卵、豚肉とキャベツの炒め物をこさえた。

食材を悪くして捨てることになるのは気分が悪い満月さん。僕は買った(もらった)時点で消費しているから、それを身体に入れるか捨てるかは任意だとしているもんで、食べないんだったらさっさと捨てれば良いという説。満月さんも同じ物を連続で食べるって無理っぽいし、僕も無理していただいたお菓子とか食べられない。糖分がとんと駄目になった。

なんだっけ。

満月さんが「逃げ恥」を見返している。好きな作品は何回も見る質。

そこで、専業主婦の年収問題が出てくる。

この話、面白いけど変だと思う。そもそも貨幣に換算する労働って交換できるところにある。だから、お金として返ってくるのが労働。

家事もプロフェッショナルになれば、交換できるようになるけれど、ここで問題になるのは、何故外からの価値を求めるのかというところ。

旦那は外で交換されまくりの価値観の中でお仕事をして、そこでさらに何にでも交換できる引き換え券としての給料をもらってきているだけ。この関係で見下すような旦那だったら、家事労働を考える前にとっとと旦那を交換したら良い。

要は、個人的な関係は交換できないということを言いたい。

僕が家事をひと通りできるように修練したのはたまたま1人で生きる時期が長かったからだけど、この時期によって今がある訳で、とても良かった。

家の中のことで、あんまりできないこととかしたくないことがなくなった。

男側とすれば、料理がネックだが、1人だと家の中で料理をする男は変だって言う人も居なかったもんで、好き放題修練できた。目が無い方が自由。

掃除は今のところ必要性を感じないからしていないだけ。満月さんはもっと片付いた部屋で過ごしたい風だが、ほんまかいなと思っている。仕事時間が減っても掃除に当てる優先順位は低そう。

交換できないのだから、別に自分がどれだけやってきたとか、相手にどれだけやって貰っているみたいな外のものさしに意味が無い。

自分の価値を気にする人は外の指標しか気にしてなくて、あまり自己と対話していないような。

対話は僕もしたことがあんまりないのだが、自分で生きることが楽しくて良いなとは思う。

「所有論」で、ルソーさんの社会契約論の話を読んでいるのだが、著者の解釈を読んでいると、ルソーさんの提言って何やら誤解されてそうだなって。

あくまで僕の解釈だが、社会契約をした結果、人間の本質が自由になると考えていたみたい。

曰く、「改善力」とか「改善可能性」と言うらしい。要は文化的に生きられるようになった人は、社会の為に能力を発揮できるようになる。

これが理想だと思うかどうかは勝手だが、個人的には、ちょっと実感している。僕は色々社会に扶けられているが、凭れかからずに1人で生きたいと改善したからここまで来たのであって、これはこの日本社会が無いと無理だった。一昔前だったらお見合い結婚させられていたというまぁまぁギリギリなタイミング。

自分が固有だと思っている人が多そうだが、ここはオフレコ。

変な話、僕は嫌だった相対的自分が改善されていて、これが人生劇場の醍醐味だなっ想っている。あとは、1人でお仕事して生計を立てられるようになればもっと良いのだが、他人と会話する界隈も脳が活性化するから辞めない方が良いような気もする。

僕は人と話すことが苦手ですが、できなくもないという。

このできる領域を無尽蔵に拡げることができるのがルソーさんとかロックさんとか諸々の思想家が創ってくれた社会なんだよな。

はい。

洗い物して寝ます。

おやすみなさい。

良い夢を。

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