いみふ

22:00から。

眠気があんまり取れない。

眠気ってある程度を越えたら睡眠時間とは関係ない。

お仕事。

スーパー事務と2人。

精神的には安泰だが、お互い仕事量が多くて詰め詰めだった。

満月さんに精神的に安泰だと言ったら、「詰められないから?」と聞かれたが、そうではない。仕事に来ているのに仕事の話ではなく「人」のことを考えないといけないのは無駄なお仕事だから心労に来るというだけ。

もちろん、ここで言う「人」というのは、仕事に来ている人の能力とか経験値で合わせることではない。こんなの、お仕事していれば当たり前の話であって、人材の話。この意味での相手に合わせる能力がお仕事能力とも言えるし、持ってきている能力と人格は人それぞれだから、これが低いことなんて全く問題ない。

そうじゃなくて、仕事外のバイオリズムとか調子とか機嫌を気にしないといけないのが「人」に合わさないといけないということ。こういう意味ではお仕事上僕に合わせることは全くしなくて良い。

スーパー事務と2人で話していたのは、上層部である店長と先輩女子は「人」だよなぁということ。能力と経験値は全然違うけれど、根が似ている。僕は私生活で耐性が付いて居るから良いけれど、一貫性が無いのはとても困る。どの指示に従えば正しいのかが分からないから、仕事上、無茶苦茶ノイズになるという意味合い。

仕事の話として議論できるかって、別に上も下も無いという先輩にしかできないし、上下関係があるときに、忌憚なく意見を言えるなんて、設定上ありえない。僕はそういうとき、思考を制限してあんまり意見を言わないようにする。なまじ上司寄り良い見解が出ちゃってもヒエラルキーを気にしている人にとってはイレギュラーだし。

ここを気にしなくても良いという世界観はアリなのだが、僕は人のことを気にしちゃうから、とりあえず上がはけて僕が上になってからしようかなと思っている。

何を新参者がって古参の人からは言われそうだが、スーパー事務がまぁまぁ古参の人だから、できるんだろうなと。

イマドキの働き者にとって一番嫌な環境って、仕事場が家族みたいな劇場になっていることだと思う。僕は旧来の家族観も嫌だけど、これはともかくとして。

要は、「人」によって待遇が変わるとかの職場に「感情」とか「調子」が入り込んでいること。誰かにはめっちゃ詰めて、同じことをしても他の誰かには甘い。これが能力値の差だったら、期待値の問題だけど、同じような能力を持っている人で扱いが変わるのはよろしくない。

僕が満月さんに対して不機嫌になるのは、能力値に期待度が高いだけなのか。

できないのはしかたないけど、やれないとかしたくないは何か違うよねと想っちゃう。せっかくこの縁で家庭を持っているのだから、やることやった後に「人」になろうかって。

仕事が遅く終わるときの家事当番に対しては何の不満も無い。

だって、僕しかできる人が居ないもんで。

ちょっと戻って。

スーパー事務に、店長の扱いの難しさを語る。業務上の指示に全く一貫性が無いからこのギャップに脱落した部下はいっぱいいるよなという結論に至った。

一貫していれば人って勝手に着いてくる。

これが満月さんの言うところの「人たらし」かどうか知らんけど。

論理が誰にでも通じると信奉している人が多そうだけど、ベースが感情だったり気分だったり、宗教(企業理念も)だったりすると過程も結論も天気みたいなものだから、伝わる人にしか伝わらない。変な話、客観の権化である数学だって、通じない人には変な宗教みたいにしか伝わない。

誰か(自分も含め)が悪いと語ればだいたいついてきてくれる人は居るけれど、個人的な人生劇場観としてあんまり辞めた方が良いと思う。もっと生産性で生きた方が良い。

ここで言う「生産性」は、資格とか投資ではなくて、単に自分で楽しいかどうか。

楽しく生きてれば、呪詛的な世界なんてそもそも気にならないという説。

自己呪縛みたいな世界観で生きている人は、いつまでそこで生きるのだろうと想う。

辛辣と捉えられても否めないけども、そうじゃなくて、どんな固定観念的な呪詛も結局世界から押し付けられているものだから、いつでも離脱できまっせっという意味合い。

という風にそれぞれの人の世界観を考察すると面白い。

店長が店長の器が無いというのも、僕が店長が語る論理に意味不明なことが多くて、結局感情の話をしているのかとなるところ。「悔しくないの?」と聞かれたが、仕事に悔しさを持って来てどうするだって思っちゃった。僕は仕事に感情をあんまり持っていってない。

感情を持って来ているのだったら、スタッフの入れ替わりのときに送別会とか歓迎会を目論んで欲しいところなのだが、そういう会も一切ないという。ここまで読み取ると、ここで言う「感情」はあくまで当人個人なのだろうなって。

まぁ良いや。

「いつまでそこで生きるのか」という観念。

自分の概念がどこまで時間的な意味で居られるかというお話。

個人的には、もう過去の自分は存在していないという感覚。

もちろん、記憶はずんずん遡られるし、最初にキスをした人のことだって覚えているけども、それがこの自分であるとはなならない。

諸々経験して試行錯誤してきた自分と、過去の自分はもう乖離してしまって同一性が無い。

5年前くらいの時分だったら、誰かと生活することはできてもしたくない。もっと遡って10年前だったら誰かと生活することを辞めていた。

トータル、何を外的に試行錯誤したところで自分でしかないという結論で、もっとできるよなと思っているから、ノイズは困る。できないんだったらしないと言ってくれた方がこちらがしたらい良いだけだから楽。

僕の本質が自責でほんと良かった。

満月さんが見ているドラマが他責世界観でちょっと気持ち悪い。満月さんはプロットとして面白いみたいだけど、僕はそういう物語自体需要が無いもんで。

他責の人については合わないというか、縁が無いと思っている。

世界が締め付けてきても、自分で楽しめる人が良い。

ほんとに自律した人は、外在的な要因が無くても自分で勝手にやって、できないことを他人とか世界のせいにしない。

僕はこういう人になりたい。

だいたいなっているのだが、他責世界観の人とは周回軌道がずれるんだよな。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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