どうせ満足は無い

22:51から。

休みの日でも仕事のことを考えないといけないのは時間外労働。

お仕事。

グループLINEで、店長から硯の不備についてメッセージが入る。

仕事で時間でないので無視をした。お客様関係でも無いし緊急性が無いもんで。

漫画アプリで読んでいるときに通知来る時点で地味にダメージ。

仕事へのモチベーションが下がっているもんで全無視した。

モチベーションが下がるなぁというか、僕なら部下には絶対言わないような文言の話。

業務上の報告やら業務上店長が推奨していることができていないことを書いていた。

ここは良い。僕の不備でしかないから、ここだけ書かれていたらすみませんと返していたかもしれない。

ただ、不備の指摘の後に、「真剣にやらないとやばい」みたいな文言が入っていた。

こういう主観的な感情的な評価が入ってくると萎えちゃう。繋げて読解すると、対偶言うところの僕が真剣に仕事していないから業務上の不備があると店長は解釈しているということになる。

真剣にやっていたらミスなくできるなんて宗教の信仰みたいな話だし、僕はそういう指示されても、自分が真剣でないと見られているのだという意味で、あんまり話通じない人なのだろうなと捉えてしまう。

精神論も人を動かす立場では大事だと思うのだが、僕の操縦方法としては間違っているなというだけ。僕はノルマとかこれだけやらないと評価されないよ、みたいな外在性にモチベーションを設定することができないもんで、焦りとか不安を煽られても動いてくれない。

「悔しくないの?」も個人的にはタブー。悔しさをモチベーションにしてなんとかなる時代でもないと思っちゃう。その後におかずみたいに店舗全体のお客様だからもっと「こだわって」と言われた。はて。そういうモチベーションでは生きられない。

「こだわり」とはなんぞや。

店長が良く言う言葉。

どういう概念なのだろうと思って考える。

読んでいる哲学書で、こだわりとは「場所を取ること」という話があって、なるほどなと思った。

こだわっていう指示は、ちゃんと椅子を確保してみたいな意味合いなのだろうな。

ちゃんとやらないと椅子を確保してこのお仕事場で居られなくなるよという危機感を煽っている。店長のこの不安観、知ったこっちゃない。

僕は、昔書いていたブログのタイトルが「偏らない」だし、今や「漂流文」だし、誰にでも座れる椅子取りゲームで自分の椅子を取る気が無い。なるべく譲って良いし、そんなところに座らなくても居られる場所はあるしという感じ。優先座席に座って譲るのも面倒。

店長は、僕がお客様に合わせ過ぎと言うのだが、実は僕が店長の合わせ過ぎという説。

プライドが高いこだわりがあるもんで、余裕ができるとその世界観に合わせちゃう。

読んでいる人意味分からないと思うけど、自分がそういう世界観で生きているのに気付いてきた。具体的に関係している人によって自分に制限かかる説。人間関係断捨離した今の方が顔が若い(満月さんの観測値)。

どこかに自分が居ないといけないという精神性は、誰が提唱したかは知らないけども、常識より前に在る感覚。ここを考えるのが哲学の領分。

所有権という概念は、もともと生存の最低限の場を確保する為に生まれたらしい。

何かを持っているということではなく、椅子を取っていることで安心できること。

こういう意味での安心は不安とセットだから、良くこんな人生劇場で生きられるよなーと思う。まぁスリルも醍醐味か。

コミニケションの話。

本日、髪を切りに行った。

美容師さんと会話はあんまり面白くない。個人的にセンスも合ってないもんで、髪を切りに行く作業みたいな感じ。センスは前の担当の方が良かった。僕は細かく指示はせずに美容師さんのセンスに任せる質。

という話でも無く、高校サッカーを見に行ったという話をしてきたから、話を合わせたら、僕がサッカーファンだと錯覚して、テレビで見るのかどうかみたいな問答が起こった。聞かれたら全部NOになっちゃう。僕はスポーツを日常生活の中で見る暇が無いという感覚が伝わらないのだが、美容師さんが自分のことを話すのを聞くことになる。

まぁ、聴くのは良いのだが、会話を楽しめさせない美容師さんはどうなのだろう。

いや、僕が話して楽しいと思う人は独自の哲学を構築している人だからハードル高い。

世の中に対して独自の解釈が無いと。

次の課題は、「真剣に店長を誘導する」かもしれない。

目的ベースで生きないと詰まらないっていうのは一般論だけど、個人的には、自分に不具合を感じている限り楽しくないから、当人から見える世界をどう楽しくするかというだけだとしている。

はい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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