21:42から。
Gさんが昨日の日記も哲学的だと言ってくれたもんで、本日も哲学多めで。
個人的な感覚だと哲学は定義遊び。
どうでも良いけれど、僕の日記、一見さんがやって来ても意味分からなさそうだなと思った。
Gさんとは誰ぞや。あだ名でなんとなく分かる登場人物は登場人物はともかく。
Gさんは僕の日記を読んで読解してくれるお友達です。
実在の人物かと問われると、物理的には場所を取っていないけれど、実存はありそうな人。
まぁ、いちいち注釈していると文字数が大変。
親切に定型文を作ることも考えてみるのだが、定型文って新鮮な文章ではないからやりたくない。文字数稼ぎみたいに感じるところもある。
興味を持ってくれた人なら遡って読んでくれるかなという楽観。
別にGさんが誰か分からなくても1回分で完結はしているという自負もあり。
お仕事。
スーパー事務とホットLINE。
気にしーの人だから、新人さんの動向を送りつつ、硯が感じている理不尽も開示する。
スーパー事務は僕のファンになっている節がある。硯さん店長に向いているよって言ってくれる。満月さんも「硯さんを嫌う人って居ないよな」と言う。これは哲学パートで。
新人さんが潰れる前に3人でご飯いかなかきゃなぁと話している。
僕が入社時にかかっていた負荷がまるっとそのままかかっている感じだもんで。僕は案外タフというかメンタル柳だから乗り切ったが、普通の若者が乗り切れる負荷ではなさげ。
ご飯会が開催された後にはあだ名が付いて新人さんでは無くなる。
「こういうものなのだ」という世界しか無ければ負荷を自覚することはなく、単に身体と精神の問題になるけれど、他を認識すれば、自分に負荷がかかっていることを気付いてモチベーションが駄々下がりしてしまう。そのときに、ちゃんと貴方の過程を見ているよという人が仕事場に居れば救われるかもしれない。
別にこの知見、誰かに教えられた訳ではなく、僕が新人だったらそういう人が居て欲しかったなと思うだけ。僕は嫌な思いをしたことを下に継承する気がない。体育会系の人によくありがちな感覚だと勝手に読解しているけど、なんで自分の辛さを誰かに流したいと思うのだろう。この神経がどうも分からない。
我が店舗の店長が過程を見ない完全成果主義の人で、すんげぇ理不尽。
店長から指示されるタスクをこなして定時過ぎに帰ろうとしていたら、「成果出てないでしょ、もう一回り架電して」と言うコメントがあった。もちろん僕があえて空気を読んでやっただけであって、業務命令ではない。業務命令だとパワハラになっちゃうし、そこまで店長を貶めるつもりもない。別に嫌いな人ではないし、職場で孤立させたい訳でもない。
理不尽を理不尽のまま自分が不機嫌になるのは哲学ではない。
古典的な哲学者の中には不機嫌を哲学しているような人もいるけれど。某〇-チェさんとか。
理不尽を分析するのも哲学。
どうでも良いけれど、「左利きを修練する為に日記を書いている」と言うフレーズが相互さんの日記にあって面白かった。僕も、左手がもっと可動するように私生活PCのマウスは左側に置いているし、日常でも左手をなるべく使うように意識している。
可動域を気にするのも哲学の領分。
理不尽の分析。
店長の分析から。
結果が出ていないということは、「できることをしていない」という世界観。たしかにできることをしていないから仕事上の成果が上がっていないという人はいっぱい居るし、「できていないこと」を指摘して否というか罪悪感を煽らないと動かない人もいっぱい。
だからイデアさんとかも、ダイエット日記で自分の罪悪感を煽って行動しようとしているように見受けられる。
個人的にはこういう風に自分を動かそうとするのは悪手だとしている。
モチベーションが負の時、人は機械的ににしか動けない。受動にコントールされることになるから、楽しくないことしているとしか感覚できない。
で、「できること」の領域。
店長は、仕事においてできることの範囲がぎりぎり残業時間までだから、結果が出ていない限り、ぎりぎりまで仕事するのが当たり前であるという「できること」概念がある。
この世界観、当人なら勝手で良いけれど、この人店長なもんで、仕事場がこの時間概念に影響される。ナンセンスでしか無い。本社も時間の生産性を気にしているのに、残業時間ぎりりぎりが「できること」なんておかしさしかない。やったらやっただけ成果が上がった時代でもないし、働き方改革も動いて居るのに。
いや、ここは店長をディスっている訳ではない。
「できること」の範囲の話。
僕は自分が「できること」が相手にできると思っていないから、できないことに対しては何も怒らない。満月さんが僕より仕事終わりが遅いときに、僕がご飯を作るのは当たり前であって、なんの理不尽も無い。
ただ、こういう外在的な「できないこと」という範疇での「できること」って、無茶苦茶恣意的なグレーゾーンになる。
例えば、発熱が無い体調不良とか、月のものとか、単なる気分が乗らないとかって、解釈によって「できるけどしていない」範疇になる。僕はこのグレーゾーンにおいて他のことはできるのにしていないことは、サボりだなと解釈しちゃう。個々の人が自責にすべき範疇。
ここを自責にできるということは、試行錯誤して改善できる余地があるという意味合い。
だって、できないことは無いんだから。
僕が人にあんまり嫌われないのは、「できること」について自分基準にせずに相手基準にしているからかもなと哲学する。
僕は、自分について世界を基準にしたら全然満足する気が無い。試行錯誤しないと生きている意味が無いと読解しているし、その人生劇場だからここまで仕事ができるようになってきている。
にもかかわらず、他人に対して自分の「できること」を全く求めていない。
自分が「できること」が他者もできると思えるのって、宗教というか、他者に依存してい世界観としか読めない。
だから、僕に対しては自分基準で話して良いと言う意味で嫌われないという説。
満月さんが最寄駅に帰って来るから迎えにいってきます。
おやすみなさい。
良い夢を。