記憶にございません

22:54から。

理不尽の顛末は宇宙人。

本日の出来事はあまりにファンタジーで文章化しにくいのだが、なんとかやってみる。

ほんとに理性的な人か?

休日出勤クレーム処理。

胃も身体も重くて動きが鈍い。ただ、この感じ、時系列を遡ると良く感じていた時期もあり、よくもまぁこれを常態として生きて来たものだとを翻る。胃とか身体とかではなく、世界からの搾取に対して何一つ抵抗できないという気分。

満月さんに朝薬局に寄って胃薬を買いなさいと言われて、コンビニに寄ってビオフェルミンを買ったら、それは違うとのコメント。整腸剤やんって。

犬系新人が気を遣ってくれてありがたい。明日の夜はご飯会ですよって。たぶん先輩女子も気を遣ってはくれている。店長の気遣いの仕方は下手過ぎて胃が痛くなる。トラブルメーカーと言われるのは自責世界観の人にとっては居胃に対する口撃でしかない。しくしくする。

明日はスーパー事務と犬系新人との3人だが、僕の愚痴を話したいなという前に、犬系新人の溜め込んだものを吐き出してもらうのが先。

満月さんは、本日の顛末に対してお客様にも本社にもブチギレしている。

うちの旦那をいじめるな!って。ありがたや。

こうなってきたとき、僕はもっと自分を守らないといけないというか、いちいち具体的な日人に波長を合わす必要がないと認めてしまうのが次のステップなのかもしれない。自分を滞らせないように世界を自分に合わせるようにもっていくこと。僕は別に自分にとって都合の良い人を世界に求めていないし、自分で居られればイイと思っているだけでしかない。

でも、これだと他責の世界観の人と衝突をすることになる。

他責にする人というのは相手(僕)の責任をやたらと誇大評価するし、僕が寄り添って居ないと攻撃対象になりかねない。となるともともとバランスが悪いのだが、僕はもっと自分で生きて、与えたい人だけに与えていけばいいのではないか。

お母様も言っていたのだが、僕には二重人格性があって、お母様と話すときは嘗められても仕方ないようなワンテンポずれたようなゆっくり話しているけども、お父様と話すときは真面目な顔になって知的な話をテンポずれずに話していて、そっちの貌で人と話すべきだって。

別に意識的に切り分けている訳では無いけれど、話ができる水準に合わせて顔を分けている節はある。しっかりした貌は、相手が矛盾なく生きていないと難しい。うっかり地雷踏んじゃう可能性も出てくるし。

もっと賢い風のところでやった方が良いのは分かる。賢い風というのは文章脳のところ。別に矛盾はあっても一貫性はある貌。なめられないし、きっと怒っても来られない。でも、圧が強いもんで、ゆるゆるしている方が相手に付け入る隙ができる。好意が付け入れられるというのは、舐められるとも似通っている。

あんまりやったことはない(少しはやったことがある)のだが、僕が本気で怒ったら相手の精神を全力で叩き潰せるような気がしないでもない。人の好意を集められるということは、逆もしかり。無意識で誰にも嫌われないような振る舞いができることは、意識したら、相手が僕に向けている甘えをぶっ潰せる可能性。

変な話、お父様に向けている貌でお母様とは話せないみたいなこと。

この胃痛も、実は回避できる精神上の貌はありそう。

でも、それだとあんまり人間関係が円滑にできない。

いや、ほんまか?

ナチュラルな自分で居ても関係できる人だけ人として、他は異星人と思って、社会的に攻撃されないように自己防衛するしかない。世界を自責とできる人だけだいたい友達。

ここまでは僕の話だから言語化に不具合がない。

仕事の今日のレポートはあんまり意味が分からない。

客観的に書いても全然辻褄が合わなくて、全然物語にならない。

愚痴を書きたい訳でも無いから不採用。

僕の日記の愚痴なんて、たまたま人生の車窓で視えただけみたいな景色だから、別に皆さん気にしなくて良い。

哲学パート。

満月さんが未解決事件やら社会的な事件が好きらしく、オウム事件の動画が流れている。

構造を抽象化すれば、社会そのものという感じ。

いちおう宗教の体をしているけども、論法が体育会系の企業っぽい。

それが社会的な犯罪にかかっているかどうかは重大な違いだけど、抽象化したらそんなに変わらない。

要は、人は心地良い場を求めている。

日本では全体的な社会は心地良い場を提供する余裕がないのか政治家の仕事力が不足しているのかは知らない。だから宗教の場とか、ネット上の場とか、職場とか、自分が心地良い場所に居れば、全体的な社会の秩序は知ったこっちゃないということになるのも分かる。

これが、犯罪になるか、微妙なマナー違反になるのかはあくまで程度なだけ。

僕の個人的な中では、人を物理的に退場させる行為と、人の精神を退場させるような言葉を同じ重みとしている。

オウム真理教は罪を犯したから問題になったけど、本当は、そういう部分的な秩序を赦した社会全体の問題のような。

別に真理教を擁護していないけど、ここからの被害者がどうのっていう話が出て来たら、いやいや、そもそもこの日本社会での被害者はどれくらいよって言っちゃう。どれくらいの負傷者やら退場者が出ているかって。いや、これがそういうもんだと認識するとすれば、それは構造の檻に囚われているだけなようなという気がする。

この両者の違いはいったいどこにある?

僕はそんな世界観だもんで、負傷者とか退場者の統計的な数にいちいち心を痛めてられない。そんなことしていたら僕の胃はもう耐えられない。

凄く意味分からない話をしているに違いないが、僕は僕の胃が痛む原因が退場したらいいという世界観でも無いということ。痛いけど、もう理不尽に対して対抗する準備はできているに違いない。もともとサイコパス気質あるのに、いちいちダメージ受けている意味が分からない。これは誰の世界観だとか。

いや、僕が店長になったら、先輩女子は職場に要らないから甘やかすことが無くなると思う。

この人の居場所のために運営したら職場としてなりたたないもんで。

はい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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