22:20から。
時間の密度と記憶力。
お仕事。
大変だったけども、良いお仕事ができたと思う。
気品溢れる親子様。大学院まで行くような人は、世間と時間の密度が違うから、なんだかお話しがし易い。僕も一応職業系の大学院は行ったが、研究の為ではないからちょっと時間が違う。
別に学歴マウントみたいな話ではなく、単純に、最先端で研究をしたような人は、正しさを探しているから、世間の規定の「正しさ」について、価値観が凝り固まっていないというだけのこと。変に正しさを求めていないから、僕が言ったことも参考値にしかならないというということであるのだが、それがとても気楽だから、色々と話した。
最終判断はあくまでお客様。
このお仕事、どれだけ時間(タイミング)を合わせた「良い人」になれるかどうかが全てだと認識してきた。「良い人」になれちゃったら、落ち度が他人では無くなる。なんとなく事情を察してくれる、みたいな。
仕事には仕事の時間軸があって、情報量というか知識にも格差がある。
賢い人は自分の知識をひけらかさないという動画を参照。
過剰な情報って人にとっては暴力になりうる。有形力の行使ではないから、刑法上は「傷害」に含まれそう。不快を越えた侵襲みたいな。
人が欲していない情報を過剰に提供してくるのは基本的に嫌な奴になる。
情報を提供しないと自分で居られない人は自分のことしか語ることが無い。
僕はお仕事上、そんなに情報を話さなくなってきた。
要る情報だよなと思うことは聞かれなくても話そうとは思うのだが、これを完璧にこなすのは超能力か占い師だから、できるとは思っていない。
未來に対する懸念って、情報では完全に解消できなくて、納得するしかない。
と、いう人が多い。
僕としては未来って未知だから、その時になって考えたら良いのが素朴。
だから、予定に対して気持ち悪さがある。その時まで同じはずが無いみたいな意味合いであって、そのときになってからでいいじゃんみたいな。
この時間間隔が世間ずれしていることは良い加減慣れてきたから調律しなきゃならんなと思ってはきた。
どこまで未來を想定したら良いかって考えると、最終的に全員退場するから、そこまで考えずに老後がどうのというのは、あくまで限定的な時間感覚なんだよな。それが人間であるということであれば良いんだけど、僕は未来の安心の為に今を制限するということが、基本的にできない。
認識はどれだけも更新できるのだが、物理的時間はどうしようもない。
物理時間だと朝はえずく。お酒の量が多くても少なくても。
この時間を生きたくないという体の反応なのだろうなと。健康診断は良好だから生活習慣は大丈夫。日常的に体を動かさないということはしていない。
吐き気はストレス。たしかにストレス過多。それでも、昔よりは断然楽。身動きできる範囲がだいぶ広いから。
人間関係が増えたことは増し増しなのだが、100人接して70人くらいの人は僕と具体的な時間で過ごしても大丈夫と想ってくれた仕事はしているような。
この仕事上のお客様とプライベートなご縁があった話は今後書きたい。
今のところは無いのだが、僕が欲すればきっとある。
この日記界隈でも現実的邂逅があったら面白いと思っているのだが、とんとない。
警戒されているというより、僕に邂逅することにそれほどメリットは無いよなと判断されているような。
知らんけど。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。