残ったあぶく銭は予告通り古書店に放流した。また良い本を仕入れてくれるだろう。
言葉は読み取られた意味について交換可能性がないから貨幣とは違う。だから漂流になる。生きていることで培われた存在を言葉で表現して漂流させることによって、交換不可能な何かが循環される。そうしないと書き続けていることに言葉で理由がつけられない。
言葉と貨幣って実は近い意味もあるのではないのかとふと発想したが、思索するにはまだ早い領域。貨幣への依存はそれを欲する他者が居るという前提があって、これを神話みたいにすることによって資本主義社会が成り立つというのは理解できる。(by「性愛と資本主義」)
朝起きて、やたらと眠い。原因は分かって居るから問題ない。6缶パックを越えるとどれだけ寝ても眠い。喉が渇く。7時くらいに自販機に向かう。デカビタチャージをして、さらに寝る。カフェインに眠気を覚ます効果は見受けられない。ただ、利尿作用はかなり効果がある。
袋ラーメンにタブー的なおいしさを感じるのは、きっと三食以外で食べることが多かったからだろうな。もやしと朝のズボラ精神で包丁もキッチンばさみも使う気がないワイルドに洗ってちぎった白菜をごま油で炒めたくらいしか工夫がない札幌塩ラーメン。実際料理として美味しいのかというと微妙なところだが味は感じる。
万人にとって美味しい料理はない。本当に空腹であればなんでも美味しいが、これは調味料の文脈。でも美味しいとは別に「味を感じる」のはご飯を食べた感にとって最重要項目。だから、万人に味が感じられるように濃い目に味付けを設定するのが市販の製品。味が無いというクレームも避けられる。保存食の濃さはそうしないと保存できないという理由があるが、市販の濃さとはまた違う。
別に文句ではない。ジャンクなご飯は息抜き的な意味で美味しいし。ただ、この濃さを日常とすると、不具合は発生してきそうというだけ。市販品で健康に重きを置くとおそらく安価ではなくなってくるのでは。あんまり知らないけども。
昼過ぎまでぼーっとしていた。何かお腹空くなと思ったら、おそらく昼ご飯抜いていたのか。なるほど、だからファミマのスパムおにぎり買ったのか。気を抜くとすぐご飯も抜く。
ぼーっと何も考えないのは、僕の人生劇場上かなり重要。ほんとに何もないというか余白の中で過ごすことによって、頭の中でより思索散歩ができるようになる。「それから」の代助氏もそんなことやっている。交渉を断ってよく寝る所業。ふらふら人の話をはぐらかすのも、話したいことはなく、単に話ができない相手だからと捉えると、僕と近い。
「思考」の定義が自分とは離れたところにあるという感じ。自分の為に行うことではない。
解決に向かう思考は、決断のために理由を探すことであって、理由そのものを問うことでもなく。そういうことは僕の意識が考えてどうにかなることではないような。記述はできるかもしれない。
「それから」を読んでいてふと、日本において文豪が出てきた社会って、ギリシャ時代のポリス的社会と似ていないかと思った。生活に窮窮することはないし、生活上のことは小間使い(ギリシャ時代は奴隷)がやってくれる中、高等教育を受けられた層は、思索に耽ることもできるし、社会のエリートになることもできるみたいな。
何もしなくて遊民して良いって生活にあくせくしている人が急に言われても、なかなか大変だと思う。いや、僕は仕事しなくて良くなったら無知の塔をお昼でも構築したりアニオタ界隈もあるし、独り遊びはいくらでもできるが。
労働は自分のことを考えなくても良い、「気晴らし」みたいな機能はありそう。
夏目さんみたいな文学的な才能があればズレを普遍化して表現できるのだろうが、当人そうとうしんどかったのでは推察される。そのしんどさを遊び惚けていると評価されるのはなかなかの地獄なような。現代精神医学であれば、代助氏は躁鬱傾向があると診断されそう。外に出さないだけで。
はい。代助氏とは友人になれそうというだけ。
割とぎりぎりまでぐずぐずして、最寄の古書店に行く。
凄く賑わっていて、誰もが複数冊購入している。すげぇな○○書店。学生っぽい人が本を1冊落として、それが「モテ論」だったのは、なんか笑う。馬鹿にしているのではなく、そんな本あるのだと。啓発本買うなら、個人的には三島由紀夫さんの「新恋愛講座」読んだ方が良いと思ったり。そもそも複数から欲されても、自分の体は1つしかないし、余剰で暖を取ってどうしたいのだとは思わなくもない。選択肢が増える、増えたところで結局はその後メッキが剥がれた自分で相手と過ごすのだし、相手は交換できても自分は交換できない。
ともあれ。
いくつか無知の塔の交換を補充。視界良好でいっぱい呼んで来る。
あぁ、僕は本にはモテモテ。相性がいい領域が拡がっているため。
文学理論はひと通り読んだが、ガイドみたいなやつだったからもうちょっと深く末節みたいな細かいのが良い。というところで、古事記を文学する本。わくてか。
あと、マルクスさんがやたらと出てくるから原典に当たれという啓示なのだろうなと思ったら、「経済学・哲学草稿」という本を見つけた。変に理想主義な感じではなく、資本家と労働者の関係を思索していて、下馬評とは違う。他の本でマルクスの初期は理想的、幻想的みたいなことが書かれていたのだが、それって、前提の置き方が違うだけなのでは。
理想と現実は違うって定型文でありがちだが、その現実ってどこから来ているのかというと、基本的には実体験よりも生きている社会の型としての考え方だったりする。
自然科学分野は、「自然と遊戯」というなんともちょうど良いタイトル。
遊戯の定義は「法則と偶然」とのこと。まさに人生劇場そのもの。
面白い。偶然を必然と捉えられるのは人間性だが、必然であるかどうかは後から決まるという意味では神様の視点で人生劇場を捉えているし、インストールされた思想を必然的に捉えることもある。
民主主義が選挙権だって個人的に疑問がある。多数決ってほんとに正しいの?
民主主義の本質は自分のことは自分で決められるように国家が在るというコンセプトだったような。多数決が正しいのは間違いだったっていう歴史の証拠はありそうなのに。
やれやれ。
言葉に言霊が宿るという精神性は信仰領域だが、言葉を語る時、それをまず聞くのは本人だから、自己洗脳みたいなことになる。僕は自分を決める方向で自分を記述することはない。
なんの話をしているのか。
よし、寝る。
おやすみなさい。
良い劇場を。