限界

おでん弁当ってあんまり聞かない。辛子はラップに包んで別に入れていた。
弁当の限界を越える試み。本日の文章とはほぼ無関係。いや、どうだろう。


さて。

仕事が終わって会社の駅ビルから出ると、雨が微々降っている。なんだか嬉しい。夏の地面が自然のシャワーによって冷やされるときに発するなんともいえない匂い、たまらない。もっと降ったら良いのに自然は気まぐれ(偶然)、ひび割れた田んぼを潤すほどではなかった。スーパーでカルピス原液を補充。安定のプレーン。

遡ってマンゴーカルピス原液を水に薄めて飲む前後の朝、ちょっと変な夢を見る。母親が運転する車に姉と妹の混在で1人と3人で乗っている時、事故が起こって、僕たちはその世界から退場する。退場した後に、再現VTRの様相で、体の痛み、薄れていく意識が肉体の感覚として再生される。あぁこりゃあ駄目だって。

夢の中で目が覚めると、僕は全然違う世界線で別の肉体として存在していた。誰か知らない人が僕が目を覚ますのを待っていたが、待っているのは僕ではなくて、ごめんなさいをするが、なんとかなった。

異世界モノのアニメやらラノベ調だが、これについては出自は分かる。noteでフォローしている記事で、退行催眠によって前世を語るという話の中で、バミューダトライアングルに消えた人々は何処に居るのかというインタビューを読んだこと。曰く、「別の時間・次元」に居るとのこと。実際に船や飛行機が消えているみたいだから、どうかともかく観測できない所に消えたのは確か。まぁ公的記録も事実とは言えないのだが、記録は離れれば離れるほど改ざんされた可能性が拡がるし。歴史学のストーリーテラーとしての醍醐味はここにありそう。

ともあれ、科学(化学)も哲学も突き詰めれば中二病みたいな思想に至る訳で、まともなる常識的な視点で観測できないことが存在しないとはできないという見解。

もっというと、「別の次元」ってほんとの素朴の延長に在るではという説が生じてきている。ずっと通っているお弁当ゾーンの公園で、煙草を吸うところに看板を見つけた。「鳩に餌をあげないで下さい」。これがやっとこさの昨日。素朴な存在の次元は見える世界に依拠されているとしてみると、目が捉えていても見えない領域があるのは確かで、その死角に存在している次元の人は見えないし、この辺りに世界線の位相のずれがあるような。

時間の概念は人間が発明したものでしかないというのも確かだから、何か常識のカーテンに覆われた領域があるのではという感じ。もちろん僕はまともな無遅刻無欠勤の社会人なので、常識的な社会の位相でも生きているし、あえてこっちの方に寄るということはない。偏らない。

ただ、常識的な見地においても自分が世界の中心であるみたいな人は居て、これは完全に天動説。社会の枠組みとしての個人の尊重とは別次元のところで生きていても、犯罪しないように収まれば問題ない。こういう人物は生活圏に居るから見えているだけで、離れれば存在しなかったことになる。

残るのは記憶の中の記録領域だけ。
人は自分の記録も自分とするから、他人の自己申告の記録も人の存在とみなしがちだが、ほんまかいな。

人が世界としている領域ってあくまで当人が把握している宇宙(=常識)なんだよな。

いや、これは僕が楽になる世界観だから別に問題ない。
正しさとか行動において他責にする常識観は僕には不要で良かった。この時代のご時世、正しさが錯綜しているカオスだが、正しいとされたことに従おうが従わなかろうが、偶然という必然に収束されているような。

「自然と遊戯」で、天体の運行は必然だけど、サイコロは偶然なのはなんでだろうという話。あくまでそう見えるという経験則の話。たしかに宇宙の天体の運行は空気も風も無くて恙ないのかもしれないという想像。ただ、だったらこの地球の天気はどうなんだということになる。

そもそも、明日も自分が存在するという見込みは偶然の領域でしかないのに、常識ではそこは気にしなくて良いとされる。そんなことより大事なこと、楽しみなことが別にあるから、今ははしんどいことをするみたいな。

統計学的にはそうそう人は退場しないから当たる生存観というか時間の感覚。別にこれで良いけど、もうちょっと考えられる人の方が好みかも。主観の世界観を常識化する人とはきっとずっと過ごせない。

限界ってきっと常識なんだよな。
僕も常識の世界に生きていたら文章を毎日綴るような世界線はなかった。常識外での位相があるかどうかはそれぞれ。

常識としての経済世界も、あくまでそうであるとしての前提があるからっぽい。
マルクスさんの論考、かなりまともなことが書いてある。国民経済学の目的は労働者を不幸にするって。まさに今そうなってないか。既得権益を持っている大地主みたいな資本家しか得しない。法人制度。

常識としての民主主義もおかしいのだが、本来的な民主主義の思想って居酒屋で飲みながら政治を語るようなことでもなし。

人の希釈化をするように世界は動いているような。僕は割と逆行している感じ。

今日はここまで。

おやすみなさい。

良い世界を。

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