ともあれ

次の環境。

22:07から。

ちょっと調律が悪く感じるのは、今現在、僕の私的登場人物が多すぎることによる。

もうちょっと弟主人公も居るし、昨日は猫の奴隷友人も来た。他人の世界に波長を合わせちゃうもんで、僕は話をし易い(ゴミ箱とも言える)と認識される。話が深ければ面白く聞ける。猫の奴隷の話は、合理的過ぎて面白かった。

こうやって影響を受けちゃうから、凪の時間が要る。

誰かと関係しているから自分を保てるという、自己肯定感? は、とうに無くなって、1人で寂しいという感覚が無い。だもんで、友達は一期一会で良くなった。これはむしろ相手という人間を「自分にとって」という前置きなくフラットに捉えることができるようになった、で良いのかもしれない。

1人になる時間が無いと調子が悪くなるのをどうにかする試行を考えてみたのだが、そうすると、誰かと居る時でも全く空気を読まずに1人の時間を作るということになる。たぶんできるのだが、これをやっちゃうと、場が変な意味で不協和音になるに違いない。

いや、そこを制限する意味があるのかという議題が脳内会議に上がって来る。

別にこの習性、自分の立場を守るためにやっている訳では無いし、それで何か怒られても貴方はそう思うんですねだけじゃないか?

例えば我が店舗、上層部の風通しが悪くて随分と空気が悪い。

その空気の悪さに合わせて仕事をしていると、調子が合わないときがある。

素朴が大事にしていることと、本社の方針は割と一致しているのに、現場の上長が旧来の感覚でしか仕事していないとか、もろもろあるのだが、上層部の人の匙加減もあるだろうなと思って空気を読んでスルーしている。

本日、犬型新人の仕事を手伝っていたシーンに対して、店長は犬型新人に、「硯さんの時間を奪っているのを自覚しなさい」みたいな発言をする。僕としては教育係でも無いけれど、誰かが持っている情報(知識)は誰かに流していった方が職場全体のレベルが上がる訳で、何でほっぽらかして、上層部何も思わないの? となる。変な話、個人がどれだけ時間を費やして頑張ったところで職場全体のレベルは上がらないし、自分に固執する意味が分からない。

いや、もちろん分かる。秘伝でもない情報を保持することで、職場の椅子に抱き着く意識。

そんな人材、もうちょっと上から見れば要らないと思うのだが、遠くから見ればできている人に見えるのかもしれない。

事務先生と仕事の効率化について話したこともあったのだが、今当人の仕事振りを眺めていると、あくまで理想であって現実では無いらしい。ここは本気出したら際限なくやっちゃうからセーブしているという意味でちょっとニュアンスが違うのだが、いずれにせよ、情報を流す教育側の人では無い模様。

良い悪いでは無くて、合う合わないのお話。

店長も事務先生も結果に対して色々言って来るのだが、ほんとうに気にしてくれていたら、もっと先にアドバイスがあるはず。これが無いのは、結局教育力不足か、関心が無いのだと解釈する。

いや、この発想、本日生産されたほやほやだから、どうなのかは分からない。

たしかに僕も人と関係していて、相手の劇場だからという解釈で放っておくことが多々ある。これは口出さない方が良いなという遠慮だから、上下関係では無いところ。

これを上下にしたら、むしろ自分ができる範疇では部下のこともコントールしてあげると職場が恙ないと思うのだが。

事務先生への不信感は、事務作業系のタスク。

この人ここまでいっぱいこのタスクをこなしているはずなのに、僕への指示が後手後手。そんなやりとりしてたら、お客様が面倒臭がるに違いないのだが。

店長も後手後手。

もちろん、ここはしんどい劇場なもんで、僕をしんどくさせる人ばかりが登場する。

これを踏まえて、僕が上長になったら、職場の全体的な仕事量がなるべく減るようにオペレーションするだろうなと。これって日常生活も一緒だと思う。僕がしないと減らない「場」って、居心地が良いのかとか、もうちょっと考えていかないといけない。

誰かに合わせて生きることを辞めたらそうなる。

忙しいからとか、しんどいから、みたいな理由でしなくて良いという世界観には合わなくなってきているかもしれない。それでもするんだということではなく、そんなことは最低限という意味合い。

共同生活における最低限、がどこにあるかだけど、基本的には動線と水回りのメンテナンスだと思う。あとは洗濯物か。

少なくとも私生活では自分で生きて良いのか。

この空間の全体的な仕事を減らすために振る舞う。

なるほど、次の動きとして、100円noteの記事もありかもしれない。

文章界、淘汰されてなんぼだし。

へい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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