23:35から。
やべ、あと25分しか飲める時間が無い。
24時で呑み終えれば大丈夫。
本日は結婚記念日だった。
諸々楽しんだ。
ここの体験は書いていてもあんまり面白くない。
面白く無かったのではなく、叙述することが面白くないという意味合い。
Kindle読み放題で、掘り出しものを発見してしまった。
柄谷行人さんの「マルクス その可能性の中心」
ちょっとまだ咀嚼しきれていないのだが、滅茶苦茶面白い。
諸々の著名人、ニーチェやらヘーゲルやらソシュールやらが出てきて、知識が追いつかないところはあるのだが、著者が、本を読むときはその人が影響を受けた人みたいな外在では無く、当人の著作からのみ読み取るべきというマルクスさんの言が正しいとしているみたいだから、問題は無い。
注釈なんて不要な内在性。
ソシュールさんの原文にはなかなか出逢えないのだが、意味するものと意味されるもの差異が言語の本質であると論じたで良いのかな。バベルの塔みたいなそもそも人間は1つの言葉を持っていたという神話は無理筋で、言葉とは他の言葉があるからこそ、その言葉に意味が生じる。
マルクスさんの資本論はざっくり読んだことがあったのだが、柄谷さんの解釈のソシュールの記号論との組み合わせ。
「貨幣は言葉である。」
ここでいう「言葉」は、共通言語とか、概念とか共通認識でも良いが、要は、その場に居る人のだいたいが「価値」を持っていると幻想しているからなりたつ価値。価値があるからその場が納得するというアプリオリ(経験の前)では無く、後天的に価値があると洗脳されている。
洗脳はどうでも良いのだが、僕は未だにお金の「利子」のメカニズムがヨクワカラナイ。
利率は設定されているものだから分かるけども、そもそもなんで貨幣に利子が生じるのかというのは、説明が神話めいているよなって。
誰かに貸さずにおいておいたら運用利益があるから、貨幣が増殖するって、バブル期の定期預金だったらともかく、今の時代、手許に置いておいたところで、全然増殖してくれないと思うのだが。個人的に利息はフィクションだと思っている。そうしないとお金が存在できないから、そうなっているという神話的な理由。
マルクスさんは資本論において資本が自己増殖することを分析したらしい(また読まねば)。
商品が場によって価値が変わるのは、それが絶対では無く相対だからみたいな話があり、なるほどーって。
で、面白いのが、柄谷さんの言だと、フロイトさんが言っているところの「無意識」もこの文脈に含まれるらしい。要は言葉。
これを進めて行くと、言葉自体が、当人の世界を規定しているということになる。
だとするとよく分かる。
自分が発する言葉が自分の価値表現だから、聞き取られないと世界に対して不満になるし、自分の価値を資産価値で捉えるし。
ここで生きる人は不安まみれだと思う。
なにせ、相対だから。
変な話、「好き」とか「愛している」とかの言葉もほんと相対。
誰かでは無く自分が選ばれているという意味で使うには拡がりがあり過ぎる言葉だと思うのだが、平気で遣うよねーと。
そんなところで生きたいなら、僕と生きてはいけないような気がする。
僕、機嫌取りの為に言葉を遣うことはしてこなかったし、これからもたぶんしない。
なんだかんだ恙ない。
僕が誰かから僕に言われる評価(言語)がどうでも良くなってきているのは、それってあくまで当人の価値規範に僕を照らし合わせているだけなんだろうなと思えること。
本日、お父様からジッポライターをいただいてかちゃかちゃしているとき、お母様と満月さんに「ださい」と言われた。
この「ださい」という評価、全然気にしていない。昔は気にしていたが、これってあくまで当人の理想世界の投射でしかない。そんなことにいちいち付き合って居られない。
という、気分。
人間は言葉では無くて行動が本質だよな~
書き続けているということは言葉を綴っているのではなく行動だし、動けるのが人間の本質。
へい。
もう時間オーバー。
おやすみなさい。
良い夢を。