22:47から。
情けは人の為ならずというか、因果応報というか、ある意味引き寄せというか、世界から受け取る出来事は自分が世界に垂れ流した表現の享受なのだなというシーン。
お仕事。
店長と事務先生と。
店長が渋滞で遅刻した時間で、ちょっと事務先生と話した。
店長のパワハラっぽい発言は直接事務先生には行かないからともかく、ワンマンプレーヤー過ぎて、店長の仕事をやりたくないとか、店長とあんまり話したくないとか。
気持ちは分かるのだが、仕事上、それをあからさまに出すのはあんまり仕事人っぽくない。
事務先生と店長は内心が対立しているから、この店舗の仕事が滞留してしまう要素の1つではある。
ではなくて、最初捉えたのは冒頭の話で、店長視点。
当人がワンマンプレーヤーだから、誰も助けてないから、誰も助けようとしてくれない。自分1人でできることなんてたかが知れているのだから、限界がある世界観だよな~って。
卵で無くて、鶏が先なんだなと。
事務先生も犬型新人も店長の仕事をなるべく触りたくない、なんなら関わりたくないという店舗の滞留がある。これが身から出た錆。
ただ、こういうのを見てしまうと、僕の内心がこっち寄りだとしても、調整に入っちゃう。
お仕事はお仕事でしょうって。事務先生はもうちょっと仕事に専心してくれよって。
で、本日というか、僕の立場を振り返ると、面白い。
店長は、事務先生が僕への当たりが強いから若干営業目線から守ってくれようとしてくれ、事務先生も、店長の僕への当たりが強くて、僕しか店長の下で働けないと思って、若干バリアになってくれようとしている。この2人どう捉えても冷血漢なのに、人間が出てくるという。
別にこれが温かい関係であるとは思っていない。これがこの人達なりの温かさの表現だなというだけ。犬型新人の方がよっぽど人間っぽい。できるのにちろちろ流してくれることと、できないのに助けてくれようとするのはエネルギー消費の重みが全然違う。
まぁ、僕の生き様は、なんというか観測する人によりけり。
すんげぇ損していると思う人も居れば、得していると解釈する人も居るかもしれない、
ちゃんと自分になっているという感じはある。閾値を越えると容赦なく縁を切っちゃうから、今後どうなるかは分からないが、ちゃんと自分が垂れ流したことが返ってくるような世界になっているような。
もちろん、別に何か返ってきて欲しいみたいな観念は皆無。
人の振り見て我が振り直せってその通りだよなぁ。
体験しなくもフィードバックできるのが、人間の脳をもっちゃった劇場の醍醐味。
そんな脳を持たなかったら娯楽の概念って無いし。
娯楽の概念って、物理的とか精神とか離れたところに逃避するみたいな観念があるけれど、最終的には自分を娯楽にするのが良いような。
これ、きっと何を言っているかよく分からないと思うけども、ユングの心理学のような話。
娯楽しなきゃいけないのは、当人、現実に居心地が悪いからだと思う。
これを払拭するためには、逃避的に娯楽を消費しても仕方ない。いや資本主義が潤うというのはあるかもしれない。
そうじゃなくて、現実を居心地悪くしている自分の存在を発掘していくべきとのこと。
僕はこういうの勝手にやっているから、内心が単純に1年前の自分とは違っているという認識。
現実的には、この1年で料理スキル上がったなぁとか、不機嫌のコントロールも微妙に向上しているとか。
ユングさんの言だと、自分の「闇」にきちんと向き合えない人は、一生人格的に完成しないのだとか。
要は、一生、自分は完成しないということ。
という世界観に着いて来られる人って居るのだろうか。
ということを徒然草。
へい。ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。