22:40から。
何故かワカラナイけど、舌の根っこが筋肉痛。
これ、あんまり良い傾向では無くて、何かを食いしばっているときに起こる。
それと連動しているのかどうかは知らないが、系列店に行った時に、滅茶苦茶心配されている。これは、盛り性質がある犬型新人が硯のメンタルがやべぇと吹聴しているのもあるのだが、僕は世界線が変化することを楽しむもんで、面白い。
系列店に自ずから異動というか逃避したぽんこつさんに久々に会ったのだが、相変わらずだった。僕とエリア店長と事務先生が話し合っているときに何故かやって来て、どの立場目線かワカラナイ頓珍漢なコメントでちゃちゃを入れてきた。何の生産性も無い。
で、エリア店長、我が店舗の店長と話すより僕と話す内容の方がより生産的というか、僕のコメントを凄く信用している感じがある。我が店舗の店長と個人面談した話の内容なんて1スタッフである僕に話す必然性が無い。我が店舗の店長より遥かにキャリアがあるエリア店長にとって、僕の方が我が店舗の相談役になるという認識なのだろうか。
たしかに、僕は店舗運営について、自分がどうというよりは、役割と枠を前提としてどれだけ円滑か、みたいな意識だから、主観で仕事を捉えてない節がある。その枠の中で、自分がどこまで稼働できるのかというところで働きたい。
枠の考え方で言うと、我が店舗の店長はワーカホリックの人。
仕事時間ぎりぎりを枠として、そこに付き合える人を仕事している人と認定する価値観がある。イマドキのワークライフバランスの価値観から遅れているのが否めない。ワークに比重を置いているのだが、それほどこの働きぶりに生産性があるようにも見えないのが悲しい。当人がしんどいし、周りもしんどくなるだけ。
僕は基本的に休みには他のスタッフが助けたら良いし、定時を基本とした方が、単位時間における生産性は上がると思っているし、スタッフのライフも充実すると思っている。店長だって助けられて良い。助けられることがプライドを阻害するのであれば、そんなプライド捨てて下さいと。
定時上がりと休憩時間1時間が基本になったら、僕はお弁当を作れる。
満月さんにはもちろん、なんなら職場の人に僕の手料理を振る舞っても良いなってくらい。
それで別に場が円滑に回るとか僕に好意が集まるみたいな目的は無く、ただ、できることを垂れ流したいなという意味。
僕は無駄に人に好かれたくない。好きが承認欲求を充足する時代はもう通り過ぎている。
お盆の13~15日に上層部(店長と事務先生)が居ない効用。
14日に僕と犬型新人と、最近我が店舗にやってきた、定年退職した後にパートでやってきた帽子が似合うロマンスグレーの人と3人の日に、昼ご飯、バーガーキングでどうですかって提案したら、滅茶苦茶嬉しそうでこちらも嬉しい。犬型新人も、嬉しそうにしてくれるお祖父ちゃん可愛いと言っており、こういうのが人間的関係だと思う。
13日は忙し過ぎて昼ご飯タイムは無いが、仕事終わりに犬型新人とちろっと飲んで来る。
15日は、昼ご飯にそうめんを食べたいとリクエストされたかちょっと考える。出前館でそうめんを配達してくれる店があるのか。
これは僕の具体的な人生のシーンだけど、もはや仕事って努力の時代から移り変わっている気がする。僕はしんどかった自分と同じようにしんどくなれみたいな価値観がどうしても合わないから、努力という言葉は我が辞書から消し去った。
努力と感じることなんてしなくて良い、ただ人生を楽しんだ方が。
自分がしんどい思いをすることによって社会的にステップアップしていくみたいな国家ぐるみの宗教を信仰するのも良いと思う。なにせ、きっと実感があるから。
実感。
この職場で僕は特に際立った個人的な実績がある訳では無い。
いや、気にしてないだけであったのかもしれないが、何か一目を置かれている。
系列店に行ったとき、そのスタッフの人達が、こっちに来ればと誘ってくれた。
我が店舗の店長は、締め付けが強くて部下を6人ほど辞めさせているみたいだもんで、こちらで伸び伸びやればというのが表層的な言語。
ただ、僕はこれを言われたとき、自分が評価されているとは読み取れなかった。
これって、僕が都合良く搾取される場所が移動するだけではという直感。
言葉は優しいけど、言葉に本質が伴っていない。
言葉はエネルギー消費が無く扱えるものだから、なんとでも言える。
自分の人生を生きて行く以上、搾取には敏感にならないといけないなと思っている。
僕は垂れ流しの質だから、だいたい相手の人生に巻き込まれる傾向がある。
誰かの御用聞きの人生で生きるのはもったい無い。
という意味で、僕は自分のことを絶対的に肯定している節はある。
比べる必要も無く、誰かより高いと思うまでも無く。
はい、寝る。
おやすみなさい。
良い夢を。