語彙と世界は連動している

23:05から。

本屋さんに行った。意識高い系小学生男子が科学雑誌に没頭していた。

お友達になりたい。

AI時代の学習法を立ち読みしていると、見てくれがチャラそうな4人の中学生男子グループが、「ビジネス棚にあるんじゃね?」やってきて、「人は聞き方が9割という本」を買っていた。中学生も啓発本を買う時代なのかと面白がって満月さんに話したら、読書感想文じゃない? とのこと。その発想は無かった。

読書感想文の為に本を買う時代なのか。読書感想文で表彰されたことがない文才。

実家に「100万回生きた猫の感想文」があって、考え方変わって無いなぁと思う。

そんな僕は、「魚が存在しない理由」という生物系の分類学の本を買ってきた。

人は物事に名前を付けると、中身を見なくなるというのは真理だと思う。

そういう傾向にある人ほど、僕はあんまり言葉を発しなくなる。面白くないもんで。

僕は話したがりでは無いが、ちゃんと相手が楽しめるようには話しているつもり。

自己表現は発話には無いから、場に合わせて話しているだけな気がする。

自分の話を聞いてくれる人が自分のことを承認してくれるみたいな認識は無い。

自分のナカミを言葉で腑分けしていないもんで、言葉はスケッチでしかない。

科学的なことって一般論を更新してきた。進化論とか相対性理論とか。

学者ですら常識を前提としているなかで、常識を疑って自然を観測し続けるのが本道みたいな話が出てくる。

進化論も当時は滅茶苦茶叩かれたみたいだが、今や定着している。

僕は神様とか宇宙人の陰謀論の方が好き。世界に適用できる種が生き残るんだったら、僕は生き残って居ないと思われる。

極限状態に遭遇したことないけれど、想像するに、自分の命と誰かの命が選ばれるようなときに、僕は平気で自分の命を譲る気がする。実際どうなのかはわからないけども、平時でもだいたい譲っているから、有事でも、みたいな。

今まで、僕に好きなようにしたら良いって言ってくれた人は何人か居た。

でも、その為に環境を整えてくれようとした人は皆無。その人の力量なのか言葉上の虚構なのかは知らない。

これで言えば、母親が最強だったと今となって思う。

ただ、母親は、この自分の振る舞いに対して、後悔していると言う。なんの見返りも無かったって。

子育て失敗したと言われるのは、人格解読できていない段階だったら、なかなかくるものがある。おそらく姉も妹もアダルトチルドレン味があるから、こんなことを言ってくる母親に愛着がやってくるはずがない。向き合わずに回避しているということはおそらくおんなじムーブをしていると思うのだが、人生それぞれだから、特に見解が無い。またきょうだい3人で呑める場があれば聞くけども。

僕は個人主義の人になってしまったし、誰かに与えるときに見返り求めるのはステージが低いと思っているもんで、母親の後悔に対して申し訳なかったとは思わない。感謝はしているけども、子育て失敗したって言われたら、もう感謝もご破算だなって。

生まれ落ちた存在を否定されている気分。

もう存在の機嫌を自分で取る境地になった僕だから、誰かからの悪態はどうでも良くなってきている。そんなことより、自分で自分のご機嫌を取れる人達と楽しく余生を過ごしたい。

いや、こういう悪態つきながらも上手くやる関係性が良いという風潮があるが、ほんとに危機管理ができる関係だったら、喧嘩が起こる前に処理されていると思う。

多様性の概念って、科学的な観測とは反対方向。

世界を探索するのではなく、簡略化。

僕は、多様性っていう言葉を使う人を世界を簡略化していると解釈しているから、この単語が出てくる時点でお友達にはなれなさそう。

予言。

明日のお仕事。

きっと、店長から僕の物理時間が無かったことを度外視されて、なんであれやこれやできて無いの、貴方仕事遅いのって言われる。(お前のせいやがな)

僕は平和主義のINFJだから反論しないのだが、こういう多様性を認識できない人は無理だなぁとなる。

のほほんとしているけど、僕をちゃんとした存在と認識していない人格攻撃にはダメージ受ける。まぁすぐリフレッシュして回復するのだが。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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