その先

22:12から。

毎日疲れる。持ち前の精神体力でしなやかに回復しているけども、追いつかないときもある。

本日の朝は結構やばくて。

これを書くとメンヘラ気質と思われそうだが、不安が膨大で、もはや「退場するしかない」くらいの感じになる。心配事はほとんど現実に起こらないのだが、心配しないでは居られないこと自体に嫌気が差す。

まだ元気というか、学習してきたのが、この感じに至るのは、自分時間が確保できていないことが続いた最底辺のバイオリズムなんだと思われる。許容範囲がごりごり削れた結果、場に居ても意味無いよなという精神に至る。

こうなると、自分にとって悲観的なあらゆる要素ばかりが見えるようになって、強迫観念が肥大化する感じ。こうなると、ほんとしんどい。ここまで来ると、逆に外から観ても平静な感じなのだが、内面は嵐。

変に不機嫌っぽいとか、忙しそうで無言みたいな方がまだマシな精神。

このバイオリズムはまだ世界と関係している。

底辺を回避するには、ちゃんと自分で自分の時間を扱っているという感じを増やさないといけない。山に行っても良いし、チョコザップに言っても良い。なんなら、時間を気にせず読書に没頭するでも。

1人で無いと、なかなかこんな時間は創れない。

気遣い気質だもんで、誰かの時間を減らすことに費やしちゃう。別にこれが悪いとかではないけれど、バランス取れないと僕だけ不調になる。

さておき。

お仕事。

店長と僕の2人体制の日。僕も店長も忙しく、会話という名の粗探しをされるタイミングが無くて平和だった。

店長は自分の仕事をしているときの方がイキイキとしている。

他人のお仕事案件に煩わせられたくない人なんだろうなという観測。

だったら、店長に座っているべき人ではないだろうなと。

調子が良いときだけ良い雰囲気になる職場の空気感は、正直ブラックだと思う。

DV家庭みたいな気持ち悪さがある。ない?

機嫌とか、調子が悪い時の人が本質だと思う。

あと、助けているのか、助けられているのかとか。

やれやれ。

分類学の本。もっと先を進めたいのだが、僕の生活時間がそれを許さない。

もっと早く読めるようにならないと駄目なのか。まだ成長できるか?

世界を解読することは、あらゆる現象に名前を付けていくことという定義は分かる。

でも、個人的な感覚としては、どれだけ言葉で世界を明らかにしたところで、世界はさらにその外に在る気がするもんで、言葉で決められる人は、人生のどこかの段階で、ここまでだと納得した人なんだろうなと思う。

ちょっと言い方を変えれば、そこで止まった人。

いや、止まることも勇気だから、これに良い悪いもない。

ただ、そういう人は、その先に行く人の足を引っ張ってはいけない。芥川さんの蜘蛛の糸みたい。

止まっている人ほど、凄く自信満々に世界を語る感じ。

こんな人と会話する価値があるかいや。僕は自分を決めた人と話す語彙があんまりない。

僕はまだ完成していないもんで、控えめに語っているつもりだけども、何か決めつけがあると読み取られているなら、ちょっと心外。別に訂正するつもりもない。読んだ人が決めることを僕が訂正する意味もなく。

内部の世界は言葉に支配されているけど、外部の世界は行動に支配されている。

人は相手の気持ちでは無く、行動を見ている。

気持ちは言葉で表現できるけども、行動は当人が時間を使わないとけない。

自分の言葉(分類)を信頼している人って、まぁいいや。

ここまで。

洗濯物干して寝るのでここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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