23:12から。
本日はお休み。
朝一仕事の電話の引き継ぎの電話をしたら、浮気かと疑われた(冗談だろうけど、冗談のセンス)。日頃の行い。歴史上パートーナーが居る時に浮気したことないけれど、浮気の概念が拡張されている。
自分で動けたかというと、全然そんなことは無い。
1日休みじゃ足りなくて、仕事上の世界観の名残がある。
しんどいことはやりたくない世界だもんで、身動きが取れない。
僕は別にしんどいことを継続している訳では無い。
家事とか読書とか文章とか、一般的にはしんどいことかも知らんが、そこで動きたいからやっているだけで、それがしんどいことだという世界観が無いから、しんどく生きている人と居ると疲れる。
だから店長が一番相性悪いんだな。
もはや仕事も面白がっていないし、苦行(努力)の世界で固定化されている人。
誰かから感謝されるから動くとか、お駄賃の為に苦労するところで生きて居ないから、僕が当たり前にやっている価値として見えない行動を当たり前にしている人も疲れる。何故、その人の労力を減らす為に生きないといけないのだ? だったら独りで生きた方が随分と楽だよなって。
どこまで相手の世界線に付き合うのかというのが次の課題。
犬型新人は、なんとなく僕の特性を捉えている感じ。
当たり前としていたらドアスラムが起こるから、きちんと感謝してくれる。
店長は僕の存在を当たり前としているから、そろそろ天誅。
いや、感謝の言はどうでも良い。感謝って社交辞令でやっている人が多いと思うが、僕が観測しているのは言語世界では無くて、行動のところ。
身動きは、体力とか属性とか気分とかとは無関係に起こること。
動かないと世界は変わらない。
ここで世界は仮想現実だという説を持って来る。
たしかに、個人の脳で把握できる世界はほんと狭くて、自分しか居ないということになる。
情報過多社会だから、自分の概念が拡張されているし、他人のことも考えなきゃみたいなことがあるかもしれないが、ほんとうに他人の世界を気にしている人ってあんまり居ない。
他人を理解できていると思っている人は、ほんとうの意味で他人を理解できていないと思う。他人の理解は、自分の文脈ではなくて、相手の文脈でその人を読もうとするその先にあるのであって、専門家(変人)の領域。
僕はそこまで自分特化にはなれない。
特化し過ぎたら、関係する人が誰も居なくなる。厳密に言えば、現実に存在する、僕を当人の文脈でしか捉えない人と、だが。
夏目漱石さんも芥川龍之介さんも好きし。この時代の人だと、坂口安吾さんが一番滅裂で好きかも。どうせ酔っぱらいながら小説書いたでしょうっていう感じがとても良き。
知らんけどだが、そもそも人のことなんて知らない。
なんなら、僕は自分のことも知らない。
自分探しの思春期みたいな痛い風に読む人は、自分を決めている人だが、そもそもその自分って、反応とか経験の結果でしかなく、ちゃんと自分なのですかと聞いたらどうなるだろう。
自己って心理学的に完成した概念ではない。
完成していたら、そこに対する悩みはそもそも無くなっている。
僕は自分の精神が物体として存在しているみたいな概念は、社交辞令みたいなものだと思っているから、ちょっともう時代遅れなのではという感じ。まだまだ変化の余地はあるし、もっと楽しく生きられるよなと。
へい。
ここまで。
この世界、どこまでもっと楽しく生きれるか。
明日もせっせと自己消費のお仕事。
おやすみなさい。
良い夢を。