文脈

22:02から。

我が道を行く砂漠のライオンに月光

満月さんが某道の駅で僕っぽいとのことで地ビールを買って来てくれた。

たてがみはポンデリングみたいな感じだが、ライオンは実際見るとそんなに格好良くないから、まぁ良いか。

アルパカとかキリンとか犬っぽいとか言われる方が多い。

素だと人間的表情をあんまりしないサイコパス。

表情も基本的には社会的マナーとして刻印されているもの。あ

それにしては僕の手、まぁまぁ雄々しいな。

線が細いフォルムなのだが、骨格はしっかりしている。

どうでも良い露出はさておき。

お仕事。

本日は元気。

なぜなら、てんちょーと同じ空間に居る時間がほとんど無かったから。

ここで終えると、てんちょーといかに一緒に居ないようにしないといけないのかという受動的というか消極的な世界になる。

情緒不安定なキャラであるてんちょーをどう攻略するかみたいな乙女ゲーみたいな感覚で捉えてみてはどうか。ちょっと気持ち悪い話だが、存在を不安がるより面白がる方が、個人的にはエネルギー消費をしない。

義務的に動いて疲れるよりも筋トレの方がカロリー消費激しいのに楽しいのと同じ。

ちゃんとこっちがてんちょーのことを気にしているというポーズを見せたら、ちょっと情緒が安定するということを発見した。いや、気付いていたけど認識していなかっただけのような。きっと、淋しいのだろうな。自分だけが苦労を負っているみたいになっている。

全員が居る場で、僕が店長を気遣うポーズを見せたら良いのだろうな。

これは空想した1つのルートではあった。僕は僕の場に居る人を誰も悪者にしたくない。

エネルギーを奪われるのであれば、先に与えてしまえば良い。

店長の世話もしないといけないのかというのはちょっとあるが、世話をしない方が疲れるから仕方ない。

事務先生は、僕が店長を詰めるようになれば良いという意味で、シン・硯の発現を待望しているみたいだけども、落ち度の指摘で繋がる関係なんて詰まらない。

そんなことより、落ち度を問題とする職場って単純に効率が悪い。

たしかに落ち度を埋めていく必要はあるけども、それは未来に向けるべきところであって、過去(落ち度)で暖を取る雑談が場を占めるのは、仕事を面白がれていない人の集まりでしかない。

いつまでも自分のミスが語られる職場になんて居たくないのは当たり前。

それよりも、ここが埋まったねとか、新しいこと楽しみねみたいな話題が支配している職場の方が楽しい。

もちろん、過去を否定しているとか、蔑ろにすれば良いということではない。

ちゃんと繋がっているから。ただ、どこに注目するかみたいなところ。

ほんとに見るべきところは「いま」なのだが、人って何かと相対化しないと「いま」すらもあんまり捉えることができない生き物。

てんちょー攻略したらまた報告します。

てんちょーの人格は、自分ができないことを部下がやってくれるみたいな、夢の投影ぽいところがある。こまごまとあれやれこれやれという過保護な毒親気質。なんで今の時点で夢が破れたみたいなことになっているのかは知らないが、めっちゃ自分の落ち度を他人に投影している。

まともな人はきっと付き合えっていけない。

だって、自分がめんどくさくてしないことを部下への指示の皮を被せて強いてくるんだから。で、もうちょっと上手く隠せたら良いのに、不器用だから隠せない。

僕はまともな人の皮も被れるが本質的にまともではないから、もうちょっとやりようがありそうと思ってきた。

この「余地」が人生の醍醐味。

余地が無くなったらあとは世界のせいにするだけになって苦しい。変化しなくてホメオスタシスが安定するというメリットはあるけれど、ホメオスタシスって自然に抗う生理だから、エネルギーを消費している。

やれやれ。

本日、BGMが某パチスロユーチューバーの新曲だったもんで、ちょっとリズミカルになっているかも。メンバーの1人、言葉選びのリズムが好き過ぎる。

この流れでプライベート。

読み散らかし読書話。

川端さんの雪国って読んだことあるはずなのだが、こんなに官能的な小説だったっけ?

脳内で抽象的に映像化される。僕が人生経年の経年を積んだからこの小説に彩が付いた説。

小説はドラマとか映画と違って、能動的だから、読み手によって解像度が違う。いや、ドラマも映画も視聴者によって解像度は変わるけども、ふり幅が少ないという意味。視覚聴覚のインプットってそれほど違いが無いが、言葉の意味の認識は語彙とか思考の濃淡で随分変わる。

いや、別に深ければ良いというものでもないけれど、沼にハマるのは何にせよ楽しい。

生粋のオタク。誰にも承認されなくて良い意味の。

そうして、「地政学」も読み始めた。

Kindle読み放題で「地政学が最強の学問である」を見つけたもんで。

○○学が最強シリーズは、なんというか、承認されたいタイプのオタクみたいな感じで共感はできないのだが、まぁ自分が研究している学問が一番強い、世界(社会)を明らかにできるという自負は好き。ただ、このシリーズに、哲学とか文学がやって来ないのが面白い。

哲学は全部の学問の親なのに、今は人の頭の中にある概念のことしか考えられないところに追いやられている。にも拘わらず、特に自己主張が無いという。

文学も、分かる人にだけ分かれば良いみたいな学問になっているけども、文脈の機微とか情緒って人間の最強の本質なのでは。コレによって当人が過ごす世界が決められる。

個人的には最強の学問というか、最新の学問って文学なのではと。

文明がどれだけ発展したとろで、その人の文脈に含まれなければ認識できない。

ここからさらにプライベート。

地政学からの発想で、ちょっとオカルト脳が発動した。

日本が世界の縮図だというオカルト話。こういう話も好物。最近AIがヴォイニッチ手稿を解読したという話が流れて来て、どおもろと。

こういう話、常識からは頓珍漢だけど、別に頓珍漢で良い。

だって、常識的な文脈で世界を捉えたところで、それが通じる人とは生きられるけど、そんなに面白くない。

面白くなくても正しいじゃんって反論は分かるけど、「正しさ」って歴史上でいうと刹那の間でしか適用されていないと思う。天動説から地動説の転換とか、魔術とか錬金術から科学への転換とか、転換するってことは、現代で信仰されている世界観がいつまで正しいか分からなくないかというのが自然な感覚だと思うのだが。

要は、正しさなんて信仰したところで裏切られるから、面白さで生きて良いという説。

もちろん、マナーとか法律は守った上で。これを守らずに楽しさだけ追求するのであれば、社会から何も返って来ないことを受け入れないといけない。それでやれるならそれで生きて良いと思う。

だから、最近流行っているスピリチュアル的な言説もそれで楽しいなら良いと思う。

そういう世界もあって良い。僕は自己本位には生きられないから、あんまり引き寄せはないみたい。引き寄せの法則の誤謬は、世界を道具として捉えている感じ。まぁそれはそれであっても良い世界。僕はそれをやっている人には引き寄せられないのだろうけど。

ここで終えるのも尻切れトンボだが、また明日。

おやすみなさい。

良い夢を。

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