ぱわーばらんす

23:12から。

帰り途、ミスト状の雨に降られる。体感では大したこと無くても15分自転車を漕いだらジャケットにずっしりと雫が溜まる。それでもどうしても宮沢賢治さんを買いたかった。濡れそぼるスーツで本屋に入るのははばかられる。ジャケットだけ自転車のかごに脱ぎ置いてなんとか体裁を整えた。

この続きはまた後で。

お仕事。

色んなパワーバランスが錯綜しているカオス。

これは、てんちょーがワンマンプレーヤーな癖に店長のポストに据えられていることによって、職場の指揮系統とか、情報の偏りのバランスが取れていない。

てんちょーがワンマンプレーヤーなのは、もう周知の事実。

職場全体が見えない。規模5人くらいなのに。あと、職場よりも自分が大事なのがもう言動であからさまなんだよな。

ここはどうでも良い。

ここに周波数合わせてもろくなことが無いから、職場では、系列店のトップ営業マンと犬型新人に周波数を合わすことを意識している。

そうして、何か困り事があったとき、皆僕に聞いてくるようになった。

「硯さん、忙しそうですが聞いても良いですか。」

犬型新人だけではなく、ロマンスおじいちゃんもそうだし、何なら事務先生までも僕に聞いてくる。

たしかに、僕に聞いてもらえば話が早い。

僕が蓄積している情報なら別に垂れ流せるし、変な間(例えば主観的な好き嫌い)も無く、一緒に解決する方向に向かえる。なんなら僕に情報が無いことでも、試行錯誤で解決するし。

僕はなるべく職場でもプライベートでも、余計な無駄は排除したい。

例えば、職場で上下関係があって、相手の仕事量ではなくて顔色を伺わないといけないとか。

僕、気分で仕事する人、一番嫌い。その気分によって部下が右往左往しないといけないということまで認識できない人が、そういう仕事振りをする。

必要な無駄は大事。例えば、スタッフがプライベートで何をしているかが気になるとか、スタッフのプライベートの価値観だとか。僕のプライベートの価値観を把握されたら、何で営業職してるのって言われそう。

ともかく、公私共々、自分しか主人公でしかない生き方の人は居るよなという話。

僕が、このお仕事でずっとひーひー感じていたのは、僕が余計なことまで請け負っていたからだと自覚した。人間と認識する幅が広すぎたし、たかが仕事なのに、余計な心労まで担いでいた。

別に聞いてくれても良いし、自分の仕事の為に指示してくれても良い(特に事務先生)のだが、僕も自分の仕事で忙しいのだけど、って感じて良いのだなと。

僕がトップに立った方が事務先生をコントロールできる気がする。

疎通ができるというよりは、貴方も仕事で楽しているよね、みたいなことを言えるよなと。

サボっても良いけど、周りにバレないようにしないといけない。

僕はゴミ捨て場でもないし、神様でもない。

もうちょっと垂れ流しをコントロールしないといけない。

いや、ほんとうは、コントロールしなくてもきちんと自分で在られる場で生きられるに違いない。周波数の話。

やれやれ。

冒頭に戻ってきて。

宮沢賢治さんの小説、色んな出版社から出ている。

装丁ではなくて収録数で買った。

読み返しの最初は「銀河鉄道の夜」。

アニメ化するくらいだから、分かり易いんだけど、なんだかそれだけではない感じ。

なにがそう感じさせるかはよくワカラナイのだが、単なる童話でもないような。

あと、僕の人生の先生みたいな、森博嗣さんの最新エッセイも買ってきた。

静かに生きる、たしかに。

僕は別に何事も成して居ないし、資産的には比べるべくもないのだが、いまが老後であるという感覚が似ていて、面白い。

僕は、しんどいしんどいという時期があって、そんなことどうでも良かったじゃんと覚醒したとき、もう余生だなと思った。

余生が老人なのか少年なのかはワカラナイ。

あくまで、余所見のこと。

もう本日だけど、満月さんに、明日もチョコザップ行こうかというと断られた。

独りで行ってこようかな。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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