環境と現実

23;22から。

明日6:50起きでチョコザップらしい。

起きられるけれど、運動できる気がしない。

まぁ、なんとかなるか。

明日はついでに美容デー。

いつものカットに加えてヘッドスパも追加した。

たぶん、理由を聞かれる。

「貴方のセンスで髪型が助かっているもんで、お金を落としたくて」とか言ったら、どう反応するのだろうか。何かしら越境するだろうな。

いま、「不謹慎過ぎる」というドラマを観ている影響もあるかもしれない。

AIがふんだんに使われていて面白い。

僕は言葉寄りも行動派、関係が常態化したところにおいて、言葉はあんまり意味を持たない。

論より証拠。言葉と行動が一致していない人は、他人を偽っているのは無く、自分を偽っているのだと思う。

でも、仕事上のお店でしか逢えない人は、行動を観測したりされたりする時空が無いから、言葉でしか関係が構築できない。

となると、僕はここでは正直に言葉を語って良いような気がしてきた。

語彙のバランスもあるから、全部発話できるなんてことはありえないけども、感謝しながら通っているのは確かだし。

職場も然り。

僕は自分について特に言語で解析していないので、自己紹介は記述的にしかできない。

こんな紹介の言葉が面白い訳が無い。人事の人も大変だよな。定型文の世界。

なんだっけ。

あぁ、環境の話。

環境は、合わせないといけないし、予測してコントロールできるものでもある。

人間関係は環境ではないから、相互に発展できる。

僕はだいたいの人を人間と見ているのだが、だいたいの人って、人を環境としてしか見ていないよなという説が浮上してくる。

一昔前は僕が環境で良かったけど、もう、その世界観には付き合っておられなくなってきている。できることを相手に委譲する世界観はもう駄目。

できることはお互いちゃんとやった後にまぐわいがあるくらいじゃないと、余裕が無さ過ぎてそこを楽しめない。

で、面白いというか、真理かもしれないけども、だいたいの人って、自分のことすら環境としている。あんまり見えないところだけど、何かをするとか、しないとか、動けない理由を自分のバイオリズムのせいにする、みたいな。

たしかにホルモンバランスとか、気分によって動くとか動かないとかあるだろうけども、これって、自分の肉体とほんとうの私が乖離していると思う。

ほんとに動けないのだったら、それはそれで良いし、動けない自分に罪悪感に恥じる必要がない。ここがある人と、話合わなくなってきている。

僕はヘビースモーカーだし酔いどれだけど、この生き方に罪悪感は皆無。

全然健康を害して無いし。

僕が今後の世界で見るべきは、相手が僕のことを環境としているかどうか。

環境としている人とは付き合う時間が無いかもしれない。

周波数合わない世界で生きると滞るもんで、それで環境が合わなくなるのは仕方ない。

この辺り、AIには分析できないと思う。

産まれ落ちた罪悪感は分析できない。

生きているだけで、変な罪悪が植え付けられている地獄の世の中。

別に啓発系の文章ではないのだが。関係にある人を自己の世界観で都合良く環境として遣ってないかは内省してみても良い。

僕を環境とする人は僕の存在に対して愛が無いから、そんなに付き合っていられない気がする。

僕は、愛には愛で返す人。

それくらいの観測的な自負はある。

明日早いもんで、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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