23:18から。
あんまり時間が無い。
休みの日だが、全然キャパが回復しない。
うどん屋さんからの公園散歩は良かった。
どうでも良い思考が捗る。2人でヤドリギを発見するとか。
仕事が気になる。胃がシクシクしている。
ほんとうはどうでも良いはずなのだが、誰かに波長を無駄に合わせている。
個人的には経年乙女の波長が一番嫌なのだよな。
いや、波長なんて全然実感していないが、身体にクルもんで。
当人の人格の後ろ黒さに辟易する。
気に入らないなら当人に言えば良い。立場上誰にも言えるし。
それをしないのは、自分が清廉潔白ではないことに自覚があるのだと思われる。
最近は毎日朝えずいている。
酒の飲み過ぎだと満月さんに指摘されるのだが、お酒はあんまり関係無い。
たぶん、素面で寝ても同じ。
世界に対する拒否観が、問題。
別にお酒に逃げている訳では無いから、日常生活とか社会生活で問題は無い。依存症の定義は、時と場にそぐわないのにそれをしたくなるというイメージだから、割と、素面でも色んな依存症な人が居そう。
ちょっと依存症の定義を拡張し過ぎか?
でも、依存って要は時間と場所があって居ない素朴な自分を我慢できないっていうのが本質なのでは。
例えば、このお仕事、オンラインで人と関わることも増えて来ているのだが、お客様とオンラインでやり取りするときに、お客様が電子たばこを吸っていることをどう思うか。
僕は割とどうでも良いのだが、経年女子は、そういう姿を見せるべきでないとかなり沸騰していた。たしかに、お客様としてはどうでも良いけれど、人間として関わる領域だったら、あんまり関係はしたくないなと思う。この嫌煙社会で肩身が狭くなっている喫煙者は、公共の場では慎まなきゃいけないから。
我慢できない人としか観測されないという意識が無いのがアウト。
そんなのはプライベートでやれば良い。プライベートでやっている限りは問題皆無。
満月さんが働いて居る飲食店でも、飲食店での振る舞いを気にしない自己依存の人が増えているらしい。
あんまり社会的に問題にされないけど、多様性とか個人主義って、自己に依存して社会を生きて良いみたいなことにも解釈されるよな。
実際、社会的にはちゃんとしている経年女子も、当人の機嫌に依存して仕事をしにきている。
電子たばこにキレ散らかすのって、自分を我慢できていないような。
自分に依存するのは依存症とは言わないのかもしれないが、どんな時と場でも自分で居ないと座りが悪い人って、自分中毒なのでは、とか。
社会的に度外れした依存症は舞台から隔離されているから、おおっぴらには出てこない。
毎日お酒を呑んでいるだけでも依存症と言われそうだが、僕は堂々と開示しているし、後ろ暗いことは全くない。
ここで言いたいのは、お仕事場に機嫌を持ってくる人は当人の人格に依存している我慢できない人なのでは無いかということ。もちろん、いい方向の機嫌なら問題ない。当人楽しんで仕事しているから、そういう人の言葉はきっと優しい。
どれだけ仕事できたとしても、そんな人は信用できない。
自分に依存している以上、仕事する余白があんまり無さげという意味合い。
余裕が無い人にばかり波長を合わせてしまっている説。
だもんで、日記時間もあんまり確保できない。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。