22:15から。
得体の知れない不吉な塊が真ん中に居残りつつ、楽しく過ごした一日。
てんちょーから休日でもやる気出せよ~みたいな連絡が来るのではないかとヒヤヒヤしていた。コンプラ的にそんなことはできない小心者だとは分かっている。僕が毅然としていればそれで問題無い。ただ、そのやり取り自体が面倒くせぇと思ちゃう。ここ3年で人となりをなんとなく把握しているから、話して通じる人と認識できない。
それでも対話という散策してみるという説はある。
僕は割と、人生劇場を選んで生まれて来たという説が好き。
いまの感も自分が選んでいるのだろうな~と。
これはスピリチュアル界隈の話なのだが、この説の良いところは、全てを自責とできるところ。なんて言うと耐えきれなくなりそうな人も居そうだし、運命論っぽい感じが出るのだが、この醍醐味は、過去を笑い話にできるような解釈ができるようになること。
僕の過去、金欠過ぎてもやし1週間生活とか、荷物まるごと何処かに置き去って年越しホームレスとか、恋人さんに浮気をされて精神ボロボロとか、波乱万丈。
ちょっと別口で、魂レベルによって人生が違うという話も面白かった。
そもそも、魂自体、人間が創った概念だから生まれる前に決まっている訳では無いとか思いつつ。なんで人間の概念が前提となっているのだが。話としては面白い。
若い魂は、社会的な成功を求める。
成熟した魂は、35歳まで人格的に迷うけども、魂に精神が追いついてきて我が道を行く。
らしい。
僕がこれを聞いていて気になったのは、35歳って、どの時代でもそうだったのだろうかということ。平均年齢的に言えば、いまの35歳ってまだ半分くらいだけども、100年前の35歳は寿命の7割くらいだったかもしれない、とか。
なんでも良いけれど、どんな言説も鵜呑みにできるような正解はもたらさないなというお話。どうでも良いけど、僕の地元は鵜飼い漁が盛んだったから、ナマの鵜も見たことがある(昔過ぎて残って脳内に記録が残っていないが)。
さておき。
満月さんのお友達と3人で昼ご飯を食べ、家電量販店に行ってきた。
このお友達、満月さん抜きでお仕事上関わったこともある。
僕の観測だと、ちょっとスッキリした感じがあって良かったなと。ストレス満載が体に出てきているとの本人談だけど、毛先も遊ばせているし、前に見たときよりは表情が柔らかくなったような。占いの効用かな。知らんけど。
付き合いがあんまり無いから、あくまで僕の主観でしかない。
あだ名ができるほどお話ししていない。
ちなみに、この人僕の読者でもある。
満月さんが僕の文章を誰かに教えるなんてほとんど皆無なのによく教えたものだ。
まぁ、満月さんもこのお友達も文学専攻なもんで、文章に精通している。
いや、そんなごりごり文体に精通している人に読まれるようには書いていない気もするが、どうでも良い。
柄谷さん曰く、文学もシステムだとのこと。
たぶん他の語用だった思うが、原典を気にしない。
たしかに、「言葉を綴る」という意味で抽象的に捉えれば、どんな文も外から決められた規則が無いと存在できない。
たとえ話書いた方が良いのかな?
誰かのブログは、その誰かとして一貫的な人格の主人公が書き手でないと説得力が無い。
逆を言えば、一貫性さえあれば、全部フィクションでも読み手側からすれば問題ないということ。
そんなまとまった虚構を書けるのであれば、ブログなんてせずに小説家になった方が良いような。知らんけど。
でも、もっと掘り下げていくと、言葉自体が虚構を前提としているから、ここに人の本質は無い、と思っている。
だからこそ、言葉が好きだし、言葉をてきとーに扱う人が嫌い。
ここで言うてきとーさは、自分の範疇外で遣う人。
言葉って語彙数増えると理論武装できるようになって、言葉を扱っているようで言葉に扱われているような人が多くなる。頑張るとかこだわるとか。
こういう人って、おそらく本を読んでいないからだろうなと。
読書しなさいとは言わないけど、今の時代で本を読む余裕がある人と人間関係したいなというだけ。
啓発本は除く。僕は別に意識高い系の人では無いから。
自分が向上されないと生きる意味が無いみたいなウェイウェイ系では生きていない。
ただ、当人の闇は晴らす方向に動けた方がいいような気がする。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。