いつも

22:58から。

会社のPCは無背景のなのだが、何故か本日勝手にアルパカ2頭の壁紙が設定されていた。

位置的に壁紙のアルパカの視線を感じた犬型新人が、それを見て、「硯さんに似ている」と言う。

犬型新人はインフルエンサーなので、当然てんちょーにも言う。

何か雰囲気似ていると盛り上がり、弄られる。

まぁアルパカに関しては、満月さんに散々弄られているもんで、耐性が付いている。

というか、どうでも良い。

ついでに、僕の字の汚さも弄られた。

僕の字は調子の良し悪しで筆跡まで変わっているのではないかという感じ。

あと、道具による。

字の汚さについても正直どうでも良い。

子供の頃から字が汚くて、拙い心かすると、母親が字が綺麗だったから、大人になったら達筆になれるんだろうなぁと思っていた。

結局そんなことは一切無かった。

某国家試験の関係で、文字を手書きする量は一般の人より多かったはずなのだが、某国家試験の修練は、最低限読み取れつつ、短時間で量を書くということだったし。

個人的な解釈だと、字が綺麗な人って、自分が外に寄っているというイメージ。

字も自己表現だから、そもそも手先が器用とは無関係で、綺麗に見られたい人の字は綺麗。

僕は変人なもんで、というか、書く文字が思考に追いついていない。

手書きで文章を書こうしたら、文字が重なっちゃうくらいな感じになる。

特に綺麗だと思われたくもない。

手書きの文字なんて、もう時代遅れで、そのうち無くなると思っているし。

別に特に、誰から見ても綺麗な字だと思われるようにゆっくり字を書く気が無い。

犬型新人が僕に着目するのはなんとなく分かる。

なにせ、きっと今までの世界に居なかった変人だから。

でも、色んな有象無象を観てきたてんちょーも僕のことになんとなく着目する意味がわからない。

てんちょー曰く、愛されキャラ(なんだかんだ人の目を集める)。

ほんまかいな? 

たしかに、メカニズムというか世界観というか行動指針が一般的では無いから、一般的な人は気になるのかな。僕は利益を気にして生きていないもんで。

知らんけど、僕は僕で生きるしかない。

どんな人も僕のような人と邂逅したことが無いのか。

僕も僕のような人と遭ったことない。

やれやれ。

先日ご飯を一緒に食べた満月さんの友人、仮のあだ名で、宮沢賢治研究者、長いな。

あだ名はまた考える。あだ名は1対1で接する時空が無いと生まれないもんで、満月さんと三者の空間だとあんまり本質が見えないな、という気がする。

だからと言って、この友人と2人で何かするという空間は無いから、あくまでぼやけた人物像で。

おススメしてくれた宮沢賢治さんの作品が、なめとこ山の熊。

曰く、熊問題が持ち上がっているし、硯さんは童話っぽいのとは違うよなという解釈だったらしい。

たしかに、賢治さんの作品、僕は童話として読めないような。

熊、買ってきて読んでいる。

賢治さんの作品観というか世界観って、自然と自己が分断されていないという感じなんだよな。対立構造ではないというか、自然と自己に境界線が無い。みたいな。

なめとこ山の熊で、熊の声が聞こえるみたいな話も、別に動物の声が実際聞こえたとかではなくて、自然と自己を分けなければ観測できそうだと思う。

僕が賢治さんの小説を文字通りに読めないのはなんか深みがあると認識してしまったため。

そんな感じで読めるほど言葉が浅くない。

僕がもっとも好きだった義務教育時代の国語教材は、「モチモチの木」。

あんまり覚えていないから、読み返したい。

へい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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