お裾分け(山だけに)

22:17から。

たまたまできた土曜日の休日、心を洗いに山に行って来た。

14時半に始動したから、あんまり遠出はできないなぁと、市内で辿り着ける山が無いかと検索したところ、自転車30分くらいで麓に着けそうな場所があった。

麓のコンビニで水分と、山頂で食べるサンドウィッチ、(あとあわよくば飲めればと思った物)を買った。何処から登るのか多少迷って、看板を見つけたのだが、しばらく坂道の車道で、自転車を停める場所もなかったもので、自転車を押しながら20分程坂道を歩いた。

降りて来る車と4台ほどすれ違ったが、きっと何でこんな道を変速ギア無しの自転車を押しなら登る、やんちゃな服装をした男が居るのだと思われたに違いない。

僕は、自分が変人なことを十分自覚しているし、ズレたことに楽しみを見出すことも分かっているのだが、観測者が居ると、どうしてもその人から自分がどう見えるのかを意識してしまう。別に不安感とか劣等感とか変な気分にさせたい訳でも無いし。

そんなこんな、山頂付近の遊歩道に辿りつき、自転車をてきとーに停めて、山道(さんどう)に入った。滅茶苦茶整備されていて歩き易い。流石初心者向けでネットに乗っている山なだけある。

それでも汗だく。山道(やまみち)に入ると山奥の実家で育った血が騒いで、キャパ―オーバーに体を動かしたくなってしまうもんで。今回は、山に入る前の自転車パートで成長痛かというくらい膝の皿が痛かったが、歩くときに使う部位は違うので大丈夫。

実家の裏に標高400m(今調べたら548mらしい)くらいの山があって、山頂に大きな岩が土台になった展望スポットがある。帰省したときはそこに座ってよくぼーっと煙草を吸っていた。

※もちろん、吸い殻は持ち帰っております。

途中で、1人の若そうな男性とすれ違った。挨拶をしなかったから、ほんとうに「人」だったかはわからない。山道(やまみち)で遭った人には挨拶するというのはマナーでは無く、ほんとうに相手が「人」か、判別することにある。

と、ホラーちっくな日記の文章を考えていたら、そのあと何組もすれ違ったし、なんなら山頂も男性5人くらいがわちゃわちゃしていた。

それでも、山頂からの景色は爽快だった。お裾分けで貼っておく。

ただ、山頂に辿り着くのが目的だとしても、こんなに人が居るとは想定していない。

どうやら、何か地域のイベントだったみたい。僕がせっせと登ってきたルートではなく、車で山頂まで15分くらいのところまで来られたみたい。流石初心者向け。

あんまり心が休まらないから、早々に下山することにした。

登りはどれくらいかかるか分からない道筋だから、時間が凝縮されているというか、未知の道って感じで面白い。帰りは残務という感じで比較的に面白くない。こんなに短かったとの答え合わせな感じと捉えると面白いのだけど。

麓に降りて、帰ろうと思ったのだが、冒険心が物足りなくて、自然巡りサイクリングしながら帰った。

大きな銀杏を遠くに見かければそちらに寄るし、通り抜けられるか判別しない道に入り込んでみて。寺って神社より好みではないのだが、寺と紅葉の赤って相性が良い。あとはススキやら、ナンテンの赤やら、不審者にならない速度で誰かの一軒家に庭に咲いている秋桜を眺めたり、あれ、なんか桜っぽい花咲いてね? と驚いたり。

そんなこんなで自発的迷子をしていると、夕暮れになって、しみじみ綺麗だなって。

この精神だとたまたま出逢った黒猫の黒すら美しい。

どうでも良いのか何なのか、すれ違った人の中に、動物避けの鈴を鳴らしていた人がいたのだが、このエリアって某は棲息しているのだろうか。僕は某が棲息しているエリアに行ったら真っ先に食料になって帰って来られないと思っているから、あんまり北の方に旅行したいとは思わない。

ついでに、本格的な山に行っても還ってしまって帰って来られなくなる気がする。

こんな感じで、3時間弱の旅。

公共交通機関も自動車も使っていないから、移動距離はせいぜいトータル15㎞はいかないくらいだと思われるが、情報量は移動距離というよりは、身体と心をどれくらい動かしたか。

体力が衰えたという気はあんまりしない。

いや、いま、滅茶苦茶眠いけど、これは小学校のプールの授業の後滅茶苦茶眠くなるのと同じ現象であって、心はやっとスイッチが入ってきている。

自転車を漕ぎながら、「人を動かす原動力とは」ということを考えていた。

少なくとも、こんな飽食時代にカロリーなんてことは無い。

いや、低血糖とか糖尿の疾患の人はもちろん除くけど、空腹でも蓄えたカロリーで動くし、焼肉食べたからストレス解消して、次からもっと動けるようなことは無いような気がする。

他の人の身体は知らないから、あくまで、このうん10年観測してきた僕の肉体のこと。

最大継続徒歩時間、どれくらいだったっけ?

3時間くらいはざらにあった。以外とこれくらい歩けるひとはいっぱい居る模様。お客様がちょくちょくそんなことを言っているような。

終電終わってから、ぐでんぐでんでも歩いて帰る帰巣本能があった。

若かったからというより、いまは動かし方の方向が違うだけ。

カロリー(ご褒美)じゃないとすればなんだろうといえば、「目的」は十分アリ。

啓発系みたいな話だが、何処にでも動けるとき、たしかに目的地の設定は大事。僕は目的なく動くのが好きだが、これも結局、曖昧な目的地設定ではある。

たぶん仕事でもそうなのだが、僕は仕事の目的に対して、細かくプロセス設定してそれをやっていきましょうっていうのが滅茶苦茶合わない。てんちょーと合わないのはきっとそういうこと。試行錯誤が大事なのは分かるが、自分がステップアップしたら目的地にたどり着くみたいなルート設定がつまらない。

目的地に至るルートなんて、曖昧で良いという立場。

失敗すれば良いし、ちゃんと自分で動いた失敗は身になるから。上司の指示で失敗しても、何が失敗だったワカラナイ。てんちょーは自分の指示で僕が失敗しても、僕のせいにする。

高校は進学校だったのだが、その時も、勉強時間を記録して提出するというのがあった。

同じ事をやらされている。そんなんで社員の自発的ルート設定能力が向上する訳が無い。

例えば、山登りを喩えにすると、山頂に辿り着くためには、歩行距離が4キロあるから、ひたすら歩くしかない、これは2時間で完了しないといけないから、1時間で2キロ、30分で1キロ、15分で500mみたいな、細分化的な目標設定はいくらでもできる。

ただ、山道って一定ではない。傾斜が高くなってるところもあるし、木の根っこがぼこぼこしていて歩きにくい区間もある。ここの歩き方は上記のような表層的な細分化の目標設定では見えない。

僕はこのあんまり見えないプロセスが一番大事だと思っている。

だって、ここに何を見出すかが当人の本質。僕は道中迷子してもなんだかんだある程度目的地には辿り着くのだが、このプロセスは秘伝というか、他人から聞かれて答えたところで特に興味を持たれない。たぶん、意味がわからないと思われる。

僕は自分のことを語りたい訳では無いから、僕に興味が無い人への言葉数はどんどんと減っている。話が通じないのだったら、お互い時間の無駄だよなって。

ついでに言うと、僕が誰かに話している言葉って、ほんとうの僕の表現では無くて、相手から読めるように言い換えられた言葉なのだろうなと想う。

僕はおそらく、だいたいの層から優しいと思われていると思うが、

そろそろ辞めようかという気分になってきた。楽しんでいれば害なき変人だからだいたい優しいのだが、楽しめないところでまでこれをやる必要は無い。

足し算と引き算だったら、僕は引き算を選ぶ。

ちょっと語彙がやばくなってきたのでここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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