毒気

23:05から。

仕事で名古屋に行ってきた。

もう集団生活が合わないもんで、電車が大変。

昔は、喧噪の個々人の色んな感じに当てられて、エネルギーを吸われて大変だった。

電車通勤していた時代には戻れない。

犬型新人はスピリチュアル系だから、そういうことを心配してくれているのだが、今の僕はそこまで当てられない。

座れたタイミングで最近寝不足なのか、ちょこちょこ寝落ちした。

でも、2つ席で隣に若い女の子が座ってきたのも嫌。ちゃんと寝るんだが、どんなに絶世の美女でも知らん人と距離感が近いのが嫌すぎる。

昔の僕はエンパス味があって、喧噪でごちゃごちゃしたところにある人達の感情みたいなものが反響して、無駄に疲れる。でも、今想えば、ここで疲れるのはエゴが設定されているからだろうなと。エゴって、自分が設定している自己。ここはスピリチュアルチャンネルではないので細かくは書かない。

で、エゴを設定しなくなれば、そんなに他者からの影響は関係なくなる。

なにせ、エゴ自体が、他者(自己も含め)からの観測値で設定されているもんで、比較の中でしか自分を守れない。比較アンチな人も、比較に囚われている。

僕が疲れたのは、そんなことより、集団の歩調に合わせて歩くこと。

僕のマイペースは速い。ゆっくり動くのは楽じゃなくて、ゆっくり動く為にエネルギーを無駄遣いする。この感覚がわかる人はせっかちだと思う。マイペースがゆっくりな人は、ゆったり。

そうして、会社に直帰せず、ちょっと寄り道してお土産を買いたい人にだけ買って帰った。

帰ってきて。

てんちょーと全く話すタイミングが無く帰社。

僕がてんちょーから、すんげぇエネルギーを吸われるなと思うのは諸々ある。

職場をてんちょーとしてコントールできないこととか、スタッフに「お前」とか言うパワハラ気質なところとか。

でも、正直ここはどうでも良い。

そんなことより、僕は世界設定を悲観的にしている人とどうも合わなくなっている。

悲観的なことばかりの世の中だからしょうがないし、それを言葉として遣うのはどうでも良い。

ただ、悲観的な人って、自分の語彙だけで世界を表現しようとするし、言葉に固執しているし、仕事がどうのとかではなく、人間として合わないのだって。

僕はだいたい毎日日記書いて、日常を言語化しているけど、自分が書いた言葉が僕の世界の全てとはしていないから、どれだけ書いてもそんなに恥ずかしくならない。だって、昨日の自分と今日の自分は微妙にズレているから、本音でもないし。

てんちょーの世界設定は悲観のエゴだから、自分ばかり守るしかなく、スタッフに対して、火元が無いかみたいな点検的なことしか言えない。そんな人に誰が仕事の機微のニュアンスを話せるか。相談に乗れない人。相談って悲観でも楽観でもない狭間だし。

きっぱりこの職場辞めたとして、てんちょーは僕のことがそれほど記憶に残らない。

別に印象付けるようなことをしてないし、忘れられて全然良い。むしろ忘れられたい。

犬型新人が、てんちょーが居ても僕に相談してくるのは、そういうこと。

相談しても、なんもくれないから。なんもくれないのに、店長として施していると当人のエゴでは想っているみたい。

僕と犬型新人としては、お前自分を守る仕事しかしていないじゃんとなっている。

まぁここもどうでも良い下り。

大事なのは、悲観的な世界観は、エゴを守るために、悪いことを引き寄せるということ。

エゴって基本的に欠落で形成されているから、エゴで生きる限り、そりゃあ悪いことだけが認識される。

僕はエゴがどうでも良くなっているから、僕の存在によって世界がどれだけ楽しくなっているのかが大事。

楽観できない世界にはあんまり居たくなくってきている。

自分の利の為に他人を扱うみたいなことがどうでも良い。

いちおう職場では利を気にしているけど、正直どうでも良い。

だって、そんなことより、楽しみたい。

こんな感じで漏れ出しているのか、単なる仕事上のお客様から、プライベートに越境しても良いですよみたいなことになっている。性別問わず。

僕としては、その人達と邂逅して面白いのかが問題。

どれだけ自分に辿り着いているだろうなって。

基本、自分がやってあげたことが返ってくるべきみたいな精神性はまだ幼い。

いや、これは資本主義なんだけども。

別に幼いことが悪いとは思わないけど、僕がその人格のものさしに付き合って居ないということは分かってもらいたいかな。

そんなことが分かる人はあんまり一般社会に存在しないのも分かっている。

へい、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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