怒りとは、自己意識

22:37から。

ワクワクする世界線だけを選んでいくというあきらめ。

本日の夜ご飯は鍋。

顆粒昆布出汁やらのどぐろ海鮮スープやら塩昆布やらをベースに、白菜、豚しゃぶ肉、えのきにしめじ、焼き豆腐。タレを醤油と母親からいただいた柚子の絞り汁にして、出汁をちょっと加えたら、最終的に水炊きゆずポン酢仕立て風になるという目論見通り。

豆腐が美味い。

お仕事。

朝から空気が気持ち悪い。

更に上から詰められたてんちょーが、ちょっと甘風な空気というか大人しくする感じになっている。

僕と犬型新人は、割と予約やら手続やら忙しくしていたのだが、てんちょーはずっとデスクに座っていた。

この体制が一番生産性低いことに気付いていないてんちょー。

この人、劇場が足りないベースだから、人の足りている部分が見えなくて、足りないことばかり指摘することになる。

そりゃ事後ベースというか、介入しない他人事みたいな立場では、世界(人)の足りなさをいくらでも言えるし、流石に我ながら活力満載で人生劇場を過ごしている僕でも、一瞬で元気がマイナスになる。

大店長は言い方の問題なんだよねという感じでてんちょーに流したみたいだが、根本はそうじゃなくて、当人の本質だと思う。

他責思考か、自責思考か。

世界に自分が疲れさせていると思う人は、それを選んで生きてきたのに自責に向かわないから、平気で自分の至らない部分を世界に丸投げする。

人に頼れないし、頼り方も雑。

僕は自責思考だから、人になるべく頼らなくて済むような劇場を選んできた。

だから、普通の感覚として「愛」を垂れ流している。余力があるかどうかみたいな話でもない。

ここで言う「愛」は、犬型新人に言わせると、僕が「人が良いこと」らしい。

だから、他責思考の人に付け入れられる、それがこの職場の縮図です、と。

たしかに、この店舗の構造は歪んでいる。

僕の普通の感覚が、給料外での調整になっている。

別に、そこに文句は無い。僕は対価関係で世界を捉えていないから。

ただし、場によっては生産性の面でよろしくない。

例えば、我が店舗のもっとも生産性が良い形は、僕と犬型新人がお客様に向ける体制を整えること。僕達が成果を持って来るために、仕事嫌いな上層部がせっせと雪かきするのがベスト。

楽して歩合を取りたいでもなく、単にそれをやったらもっとこの店舗の成果良くなるなというだけ。それが気に入らないなら、上澄みはちゃんと還元しますが、更に上から言われなくて済むというメリットもある。

下がお客様に向かえば向かうほど下の仕事が増えて上層部が楽になるという構造がしゃくだから、自分を制限しないといけない職場に対してワクワクしないという意味合い。

本日僕が居残りしていたら、犬型新人が居たたまれなくなったのか、手伝ってくれた。

こんなまともな人材を食いつぶすのが我が店舗の構造。

愛が無い。

僕が言う愛には色んな意味があり、例えば、「人の話を聞ける」というのもある。

上層部はホウレンソウみたいなことを求めるのだが、当人の範疇に無い世界のことは聞く耳を持てない。

僕は結構ちゃんと世界を観測しているから、言語化しようすれば、結構細かい話もできるのだが、この細かさを別に誰かに話したい訳でもなく、だいたい相手がキャパオーバーになると思っている。

仕事の話は大店長に対しては可能。

大店長も、おそらく他の人には言っていないことを僕に話しているような気がする。

細かい話の例。

言語化ガールとのランチの時、おそらくデフォルトなんだろうが、話しているとガールが前のめりになってくるもんで、距離感を気にする僕は椅子の背もたれにきっちりもたれるような距離を取ったとか。

てんちょーと経年女子は、自分が疲れているという気分を剥き出しにするお子ちゃまだもんで、細かく心情を察しないといけない、かといって、心情を察して動いて心理的安全を確保したところで、甘えん坊なって動かない。

怒らないと、指示されないと新しい動きができない層。

この人達ってお子ちゃま気質が抜けていない気がする。

この文脈で満月さんをもってくると、同じ感じに読まれそうだが、ちょっと違う。

満月さんは僕が大人しくしていると、怒っているのかと良く聞いて来る。

僕はそんなに世界に怒らないから、ちょっと違う。

怒られるようなことをした罪悪感があるから、僕の反応の薄さを怒っていると認識しているような。

たしかに、夫婦空間の生産性は気にしているが、できないのだったら仕方ないとは思っている。かといって、それで怒っているとしても夫婦空間の僕であって、ほんとの僕は何も気にしていない。これも愛が無いと捉えられそうだな。

変な話、当人の本質は、誰とも関係していない部分にあると思っている。

厳密に言えば、誰にも承認されないところに在る意識が当人の本質。

僕は本質的に誰かの雪かきをしてしまう人。

かといって、僕の雪かきをしてくれる人が良いとはならない。

だって、そんなものさしで生きていないから。

自分が何かをやるから、相手が何かをやってくれ、という価値観だったら、僕はどんな場でも人と関係できない。僕の方がだいたい負っているから。

そうじゃないと認識していたとしたら、僕はもうワクワクできないかもしれない。

ワクワクする関係の定義は、お互いが自己認識をぶっ壊すこと。

自己認識なんて、だいたいがホメオスタシスでしか無いから。

へい、ここまで。

おやすみなさい。

皆さん、良い夢見てくださいな。

おやすみなさい。

PAGE TOP