22:20から。
あんまり書けることがないし、時間も無いが、おそらくあと40分で良い感じに収めるのだろうと思う。
お仕事。
束の間の凪が気持ち悪い。
てんちょーが無理して職場で元気にコミュニケーションを取ろうとしている。
僕はそんなに話したくないというか、硯さんはこうだよねみたいな、前提ありきで話させると、話すことが無い。だって、僕の思考やら思索は、もっと色々飛び交っているもんで、そこだけに合わせようとすると、身動きを止めないといけない。
キモチワルイのは、ずっとできないのだったら、無理すんなよみたいなところ。
無理しているのが見え見えで痛々しいというか、なんだろうな、その人が発する本当の言葉じゃないよなというところ。
別件で、ロマンスおじいちゃんが、ちょっとひりついた時があった。
怒気をここまであからさまにできるとは、というところに、犬型新人が若干引いていた。
そんな場でも僕は通常営業。
怒りが良く分からないのはサイコパスかもしれない。
空気を読もうかなと思いつつ、怒っている人って何言っているか分からないって思っちゃう。いや、分かるけど、怒っている前提の中での言葉しか認識されないもんで。怒りを収めるような言葉しか求められていない。
そういえば、経年女子に、「硯さんはサイコパスじゃないかと思った」と言われた。
よくぞ気付いた、というか、僕の世界は人に迷惑をかけない程度にズレており、傍目から聞くと聞けないことも起こる。
本日のエピソードは、虫の話。
お仕事柄、害虫の諸々を業者さんに外注しているのだが、僕の案件はGさんが多いらしい。
業者さんから激ヤバですと話をしているときに、そうなんですと通話している様子が嬉しそう過ぎて、経年女子は僕に対して狂気を感じたらしい。
虫のことを細かく書くと気持ち悪くなっちゃう人が出てくるから省くのだが、虫が気持ち悪いという感覚は、あくまで社会性の話。
田舎暮らしだと、虫は常在しているから、あんまり気にならないのだが、ちょっと清潔に慣れると、途端に虫が嫌になる。
なるほど、こういう感覚も倫理感でしかないのか。
倫理感というのは、社会的なホメオスタシス。
満月さんは一夫一妻制の、1対1にしか愛が無いというのはキリスト教由来だろうと疑念があるということだが、とても分かる。
そうして。
僕はサイコパスだという自覚はあるが、優しいサイコパスなので、誰かの気分を害することはあるかもしれないが、相手の人生には特に影響しない。
僕としては、一般的な倫理観を持ち合わせている人が、僕の価値観をコントロールしようとするとか、僕の存在に甘える方がよほどサイコパスだと思う。
僕の人格はあんまり自分のことを気にしないし、ほとんど怒らない(怒る意味が無い)から、色んな人に、僕に対して怒って良いと思われる。別にそれに対して怒り返さないし、僕に怒っている人のだいたいは僕の存在で人生楽になっていると思う。
にも拘わらず、僕に怒れるんだぁって。
経年女子とかてんちょーの方がよほどサイコパス。
経年女子も人に対する教え方がネガティブ過ぎる。
人が失敗した時に、どういう言い回しをするか。
経年女子は、僕のある事務の失敗に対して、アレコレだから注意するように習慣付けてね、と言う。
この教え方、無茶苦茶悪手だと思う。
だって、習慣付けるのは、上司の教育論だし、僕は経年女子からこれを教えてもらったことが無い。なんなら、ここ、貴方の範疇ですからって。
要は、自分の管轄なのに、相手(世界)に責任にする。
これが不機嫌の本質という説はどうだろう。
この意味で言ったら、相手が僕期待に応えないことが当たり前だから、いちいち不機嫌にならない。放っておいたら僕がするのだからと、僕を認知している人に愛を感じるのか否か。
好きは言葉だけど、愛は実生活。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。