23:07から。
転職で応募した会社から本日連絡が無かった。
よくよく考えたら、この会社土日休みだから、連絡が来ない方が健全だった。
さておき。
お仕事。
犬型新人に転職の応募をした話をすると、「ど良い~(とても良い)」とのこと。
僕が先に辞めたら、自分の仕事がややしんどくなるのにこうやって羨ましがってくれるのは、人間ができていると思う。いや、これは感じ方によっては、僕のことどうでも良いのかなとなるかもしれない。僕としてはこういう距離感の人の方が楽。
ついでにたくさんフォローしていただいた。
ほんとは経年女子とかが出張ってくれるところだろうと思うのだが、当人、自分の仕事を大事にする個人主義だもんで、部下の仕事のフォローとかの観念が無さげ。
この流れで、てんちょーが、僕と犬型新人の連携が取れていないみたいなことを言う。
僕が犬型新人に当たり前のことを教えられていないとかなんとか。僕はぽんこつ女子の後輩だったので、何も情報が流れて来なかったもんで、てんちょーと犬型新人のやり取り聞いていて新発見がいっぱいある。
何を今さらとてんちょーは言うが、そもそも聞いたことが無い情報が多すぎる。
それでも何とか仕事してきたのは凄い。
風通しが悪すぎ。
あと、連携が取れないのは比較的に暇な平日に一緒に働くシフトが無いから。
何か悪さをすると思われているのかどうかは知らないけど、僕が犬型新人に教えられていないのは、てんちょーが作ったシフトのせい。
店長って、たしかに人の組み合わせを気にしながらシフトを組まないといけないと思うのだが、僕と犬型新人が平日でコンビを組まないようにしているのは、ちょっと意味がわからない。個人的には、別に上層部が居ない、僕と犬型新人とロマンスおじいちゃんで、だいたい仕事は回せる気がしている。権限上できないことがあるのだが、上層部は権限だけ使ってくれたら良い。
上層部と話をしても案件が進まないのなんなんだろうな。
本日、事務的なところで経年女子に相談したのだが、この人、協力的なところでは何も決断できない。こちらからすれば、お客様が急いでるんだからすぐやってよと思うのだが、何故かもにょもにょとあーだこーだ言っている。
なんなのこの人。
会社上、シゴデキ女子と認定されているみたいだが、その評価が良くワカラナイ。
部下の困りごとに対して、相談にしか乗れない、行動しない人が何故だろうって。
てんちょーも経年女子も、事態を解決できない。
いや、する気が無いのか。
転職しようと思うのは、こういう人が評価されている現象による。
本題は、現象としての人の話。
相変わらずよく分からないYouTubeの流し見で、「自己」という概念は比較的に新しく開発されたものであって、そんな自己は存在していないという話があって、なるほどと。
曰く、自己という観念は、いわゆる「変な人」を社会から隔離する為に生まれたのだと。
なんとか「障がい」みたいな名付けが現代的だけど、当時は、社会にきちんと習える人格を持っているかどうかで選別できるように開発されたって。
ここには精神分析の発展も絡んでいて、リビドーとか、無意識を掘り下げたところに「自己」があるという認識。
刑法上の人観も、結果無価値論から、行為無価値論への変遷がある。
犯罪って、「行為」を問題にしているのが現代の共通見解なのだが、学説によって色々ある。
行為に至る動機があるべきモデルが主流だと思われる。もっと言えば、その行為に至るような「人格」が問題だとかの説もある。
僕としては、極限の現象、例えば殺人みたいな犯罪だったら、現象だけを問題とできないとは思う。普通に社会からはみ出した行為をした人については、結果だけでは判断できないよなと。動機とか背景を探る必要がある。
ただ、日常的なところで言えば、内部にある当人の「自己」は、どうでも良いような気がする。僕もそんなに気にしない。言ってるけどやってない「自己」と、他人の内部から来ている言葉には親和性があると思うが、僕は自分も他人も、現象的にしか把握していない。
僕の中にある人の「モデル」が、自己という観念から因果的に発生した現象と見ていないというか。
てんちょーはとてもなぜなぜと聞いてくる。
これが、構造的な話だったら改善の余地があるのだが、あくまで人の認識の話だから、人の何故が気になるって、「自己」の観念に汚染されているなって思う。
僕は自分の行動を別に動機があってこれをしたみたいなことをいちいち認識していないし、僕の人の「モデル」では、人は機械じゃないだから、動機なくても動けるし、その動きは当人の自己としての動機とか因果とは無関係だと捉えている。
だから、人の感情的な言葉ってあんまり信じていない。
それに基づいて行動できないから。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。