探究の程度

23:08から。

明日休みだとて、24時までに終わらせないと。

さておき。

お仕事。

朝一に商材提供元のオーナーがやってきて、話し込んだ。

表情がちょっといかついのだが、良い人。

これを観測した経年女子が、「硯いつまで話し込んでいるのだ、忙しいのにのほほんと時間をかけんな」みたいなことをてんちょーに言ったらしい。

てんちょーも言葉を変に相手を傷つけるように盛るから、真相は定かではない。

けども、おそらく僕がこのオーナーと話し込んでいる時間は無駄だよなという苦言が本質にあったのだろうなと。私の仕事を減らせと。

ここが面白いところ。

経年女子は、この職場でまだまだ働くつもりがあるにも関わらず、長期的な視界が一切無い模様。僕がオーナーと話し込んでいたのは、このオーナーが好きだということもあるけれど、それよりも、長期的な情報収集という意味合いがあった。

オーナー間で繋がりも太そうだし、短期的な売上は見込めないとしても、話し込んで損は無い人。ちゃんとした人だから、僕のことも尊重してくれているし。

もう辞めたい僕が、これほど仕事しているのに、経年女子は僕の仕事を尊重せずに、短絡的に「忙しいのに硯がフォローしない」という世界観。人を尊重できなくて終わっている。

僕は仕事中、雑談にも参加せずにほとんど仕事しているんだが、なんか、僕が勝手にやっていると思われているみたい。

僕が場を諦めるのは、「僕が尊重されてない」と感じてしまったとき。

これを感じたら、僕はもう自分が持っている豊富な「寛容」を使い切っているのだろうなって。

「使い勝手が良い」みたいな感じでヨイショされることに何の嬉しみも無い。

営業にはこの語用も大事だっててんちょーは言うのだが、僕はこんな感じで人と対話したく無いのだよな。可能ではあるけど、こんな語用で言葉を扱えば扱うほど、自分が空疎になる気がする。

言葉は言霊で自分に返ってくるものだから、脳内の言葉も含めて、語用には気を付けないといけない。

こういう文脈で読むと、てんちょーも経年女子も、自分の言霊の呪詛が溜まりきって終わっている人物。たぶん仲良くなっても良いことが無い。

僕と仲良くなっても、自分に気付くだけだから、ある意味苦行かもしれない。

僕は、自分に変な社会的制限をかけていないので、なんなら、素面でも酔っている。

もちろん、飲酒運転はしないし、誰かを傷つけてまで守りたい「自己」も定義していないし。

他人を見下す、自分は他人よりできているみたいな指標でしか自分を守れない人は、言葉の温度が低い。どれだけ丁寧な言葉を扱っていても、温かみが無い。

てんちょーと経年女子の言葉は、僕の仕事振りを一切労ってくれない絶対零度だから、僕から話すことも、僕がこの人に対して話す言葉も絶対零度。

僕は、当人にとって相対的なことより、絶対的な主観の話が聞きたいんだよな。

誰かと比べられない自己の存在って、剥き出しだし証明できないから、この水準でお話しできる人が居ない。

思うに、ここまで自己にたどり着く必要は無い気がする。

だいたいは自分と自己の距離感がバグって生き辛くなる。

この話、もっと書きたいのだが、きっと需要が無いからここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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