22:49から。
本日、てんちょーの邪気が凄かった。
物理的なインフルエンザウイルスが潜伏しているのもあるし、調子が悪い時ほど人の本質が出るし。
その邪気を一身で受け、疲労困憊なのに、帰りついたら食欲が無い。
別に気力は無尽蔵だから、満月さんのリクエストのカレーオムライスを作った。
鶏むね肉の細切れと、ピーマンと新玉を炒め、佐藤のレンチンご飯とカレー粉と水を加えてぐつぐつし、
食欲が無くなった理由は、たまたま流したYouTube動画が答えをくれた。
ストレスがかかるとそれを回避するためにエネルギーを消費するから、吸収に回せなくなるという話。まず邪気をどうにか排除しないといけないから、蓄えは度外視する。
まぁ、ストレスが溜まったら過食して蓄えなきゃという冬眠型の回避もあるから、なんとも言えないが、僕はそうはならない。
まぁ、空腹感なんてそんなもの。
お仕事でてんちょーに怒気を滅茶苦茶投げられた。
怒りをアイデンティティの一部にしている人にはとても失礼だけど、個人的には「怒気」って幼児性の名残りだと思っている。どんな局面においても、怒りって生産性が無いじゃん。当人が守られるという生産性はあるけれど、怒りでは世界は変化しない。都合が良くなるだけ、というのが、僕が幼児性と解釈している意味合い。
例えば、本日、てんちょーから「小学生でもできる仕事ができていない」みたいなことを言えた。これ、小学生が劣っている存在だというものさしだと、パワハラですって怒りが出て来るかもしれないが、僕は変に世界が固定化しているオトナより小学生の方が世界大変だとリスペクトしているもんで、小学生なめんなよと思っちゃう。
オトナが偉いと誰が決めたんだって。
この下りで、面白い他己認識。
僕、怒りをアイデンティティの一部としている人からすると、「馬鹿にされている」と認識されるみたい。たしかに、怒りって幼児性の発露だと思っているから、相手の怒りを真に受けない。いや、本当に伝えたいんだったら、もうちょっと理性でできるでしょって思っちゃう。
これ、別に馬鹿にしている訳で無くて、舞台が違うだけ。
でも、同じ舞台に降ろそうと思う人がいっぱい居て、それでもこの舞台に付き合わなくて良いやと思っている。
齟齬なんて、怒るに値しない。
てんちょーから。今日何したの? って聞かれるのだが、別にてんちょーに報告できるように仕事していないから、聞かれてもあんまり言語化できない。てんちょーが人の話を聞ける人だったらいくらでも話すことはあるのだが、聞くキャパが無いから、報告も歪になる。背景情報がワカラナイと、スタッフが休み時にお客様と関われないのに、ここを聞けない。
文字数少なくて満月さんに不満を言われるのだが、物理的に時間が無いんだわ。
最後。
離婚調停中のお客様とお話しして、なるほどなっていう関係論があった。
「尊重があれば言い訳を言い訳と認識しない」
これ、まさにそう。いつもやってくれているのであれば、時々できないことはどうでも良い。
そうやってもちつもたれつができるのがパートナー関係。
気分とは無関係にやることはやるのが生活。
これを応用すると、社会関係においても、貴方ができていないよって言う人ほど、きっとやって無い。自分がきちんとやれている人は、他人の否に怒る理由が無い気がする。
僕の解釈だと、怒りという幼児性の発露は、当人が成長を辞めた証左だと思うのだけど、それで良いのかな。
僕はもう怒りの舞台に降りないようにしたい。
大声で誰かをコントロールして悦に浸る世界線でもないし。
おしまい。
良い夢を。
おやすみなさい。