制御できるところとできないところ

22:50から。

とにかく外のことを気にするより内部の声に耳を傾ける。

僕が風邪をあんまり引かないのは、外向きには「アルコール消毒」しているからなんて言っているけども、おそらく内部の調子を整えているからだと思っている。

端(はた、僕と仲良くない人)から見れば、僕はテンションが上下しないクールな人間で、エネルギーの総量が少なそうに見えるみたい。

犬型新人には本日「やせ細ってます?」と聞かれた。

いやいや、痩せ細ってないし、あなたの方がインフルエンザ休み明けで痩せこけてないですかと返しておいた。体型の話はセクハラになるのでアウトだが、先にセクハラされたので、セクハラを返す。

痩せてりゃ良いもんでもない。

当人の身体がバランス取れているかどうかの方が遥かに大事。

僕も肩甲骨辺りにトリガーポイントがあるから、まだ滞っている模様。

ここから、病中は食べられるのが流動食しかなくて云々という雑談が始まりそうだったのだが、上層部の監視により中断。基本本人を主役にするか、他人を悪役にするかの場だから、雑談しにくいんだよな。

まぁここはどうでも良い。

僕のエネルギーの話。

エネルギーについては、病み上がりの犬型新人が人との交流にエネルギーが溜まっており、てんちょーにやたらと絡んでいたのを観測して考えた。てんちょーはなんだかんだ、相手の世界に付き合うから、良い毒抜きなのか? と思いながら観ていた。

僕は変な雑談にはあんまり付き合わないので。

我ながら、滅茶苦茶あると思う。自分に蓄えようとすると、満腹というか量が多すぎるから垂れ流している。ここを必要以上に吸って来る人も居る。あんまり気にしないけど、僕の中にある憤怒氏が、エネルギーの流しどころ大丈夫かと心配してくる。

まぁ、憤怒氏も制御下だし、意見は聞くけどというくらいに収まっている。

僕にエネルギーが無ければ、これだけ社会からアウトローの層と縁があるはずが無いのだよな、という現象からの考察。

これを、職場では「硯客」と呼ぶ。

僕のエネルギーの垂れ流しは現象としては「寛容」になる。

ここまで付き合えないよねっていうところに踏み込んで成果にするくらいのエネルギーの余りがある。

たしかに、1人の時間は絶対必要。これはどれだけ仲が良くても人からは補充されないところ。ここの理解は、これを必要としない人にはどれだけ説明しても分からないから、無理矢理時間を創ってもらうしかない。

この余りというか垂れ流しで人とやり取りするのだが、アウトローの人にも2通りある。

自分がアウトローだと分かっているからある程度自責にできる人か、アウトローだと自覚できて無くて、世界のせいにしてうじうじしているか。

自責型の人は、割とこちらの言い分も聞いてくれるし、ちゃんと諸々やってくれる。

うじうじ型の人は関係性ができても、他人に対して言葉としてはともかく、現象として感謝できないから、言葉のバリエーションは豊富だけど、現象としてはとても冷たい、世界に自分と同じ人間が居ない感じ。

これは別にアウトローで無くても同じなのだが。

僕は現象としての礼儀みたいなことにはとても疎いから、ここを大事したい人からはなんだこいつと思われがち。僕としては、それは「場の論理」であって、ほんとの気持ちでは無い気がしている。

場の論理って何ぞやっていうと、関係性の中で「これをやってれば良い」みたいな現象の話。

例えば、旅行行ったらお土産を買わないといけないとか、バレンタインにはチョコとか。

ルールが決まっているとこに気持ちが乗っていると思っちゃう。

僕はこの意味で場の論理では動けない人だから、その現象に気持ちがちゃんと乗っているとは思わない。イベントに気持ちを載せているだけ。

あんまり書くと顰蹙を買いそうなので、これはここまで。

選択と動機の話、

お仕事上、動機を問題とするのは分かる。

商品提供側だから、何故この商品を買おうとしているのかという動機は見ないといけない。

ただ、この動機って、普通はブレるんだなって。

僕は需要側になったこともあるのだが、それほど営業の人に期待した経験が無い。

満月さんとお話しするのでここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

PAGE TOP