22:23から。
なんだが不穏な気分。
この気分、何かやらかしたなという解釈が従来の言語化だったのだが、ちょっと違う言語化もできることに気付いた。
不穏は世界線の移動の予感。
安穏は恒常性の維持の中で、この文脈でのきな臭さは、「不安」の気分となる。
「不安」と「不穏」はざわつきの気分としてはとても近いけれど、根っこが全然違う。
こんな内面を分析する変人。
語彙って世界のグラデーションを判別する道具だから、僕としては内側に向ける物だと思っている。
さておき。
本日は連勤の合間に、満月さんが家事を片付けてくれた。
掃除、じゃねぇや、洗い物と洗濯。素晴らしい。
そうして、お仕事。
休日出勤で連勤を自慢するてんちょーがやって来た上、僕に仕事を投げつける経年女子とロマンスおじいちゃんの四面楚歌だから、やたらと頭が痛い。
脳に、過負荷がかかっている。
この過負荷、全く仕事を円滑にしなくて困る。
僕、別に心理類型なんてどうでも良い。
僕は僕だわという立場。それにしても、INFJは、他人の気分に影響されるというのはよく分かる。HSPとちょっと重なっている。
要は、この人達、あんまり働く気が無い、というか、「仕事」を楽しんでないから、一緒の場に居て、全然楽しくない、という気分が伝わって来て、僕が制限されてしまう。
この叙述の意味が分からない人は、僕のことは変人認定で良いので。
で、この流れで、本日の応対を失敗した。
失敗の改善に、てんちょーは「練習」を求める。
個人的にはお前ら居ない場の方が、コンフォートゾーン創れるわという感じだから、練習しても仕方ないと思っている。犬型新人に必要なのは練習ではなくて安心できる知識なのに、同じようにやればできると思うのが良くない。
「練習」したらなんとかなる世界観は、凄く自己本位。
その世界観でも良いのだけど、だとしたら、本人も練習し続けるべき。
当人もまだ足りないなって練習し続けている中で、一緒に練習しようならまだ分かる。
なんで、自分が先生で教える側になれているのかと思っているのかが個人的によく分からない。僕、てんちょーと練習して身になったことが皆無なのだが。
貴方、人に教えるような人生の余裕ないから、教える体で、粗探ししているだけだよなーって、僕は読む。こんな人と練習したくない。
練習しなくても学習はしているし、上層部が居ない時には気分が上々だからちゃんとやっているわって。こうなると、僕の練習は、聞かれていてもこの人達の存在を消す訓練になる。
世界線というか世界観が違う。
この流れで、「硯さん、お客様を褒め散らかしたことあるの?」と聞かれた。
興味が無くても、有るようにおべんちゃらを言葉として発する練習をしないといけないんじゃない? って。
練習として、経年女子を褒めてみてと言われた。
経年女子は、褒めるとこいっぱいあるよーって言って来る。
無理ゲー。
僕は、割と自分の言葉には正直に在りたい人だもんで、人間関係を円滑にするためだけのおべんちゃらの言葉を遣えない。
経年女子、人間性としても、仕事振りとしても褒められる言葉が浮かばない。
僕が店長だったら仕事としてやるけれど、部下の視点から見たら、褒めたところでなんもしてくれないもんで、気分伺いの言葉なんてあんまり発したくない。
僕は、ちゃんと、お客様がちゃんと人間だったら興味を持っているし、売上も作っている。
てんちょーが言うところのおべんちゃらでは無く、お客様の世界観の解釈まで読んでるけども。こういう話聞くの。楽し過ぎ。
たしかに、人間では無い人種とのやり取りは薄いけど、ここを取ったらもっと良くなると言われたところで、あんまりモチベーションが上がらない。
人間とだけやり取りして、成果出しているじゃんって。
てんちょーは人生が物足りない人だから、他人にも足りないと思っちゃうのだろうなって。
経年女子の人生劇場はよくワカラナイけど、そんなに良い人生じゃなさそう
僕の人生観だと、人生楽しんでおれば、他人の非なんて、自分の物理に影響しない限りどうでも良い。僕はちゃんと1人時間が確保できればそれ良いし、誰かで暖を取るほど世界に甘えて居ない。
ゴシップが気になる人生からはズレてしまったから、こういう話をBGMにしていると、いいちいちそんなことろが気になるのは大変だなーって思っている・
こういう感じが、「感じが悪い人」にとって「感じが悪い」と思われるのだろうが。僕は別に、自分が最優先の「感じが悪い人」では無いないから、観測できる部分があくまで「感じが悪い」と認識されるのだろうな。
生きている世界が全然違う。
何か他人の為になることをすることを、何かが返ってくるからやっていると想える人は、僕の生活で生きていける人では無さそう。
知らんけど。
ここまで。
良い夢を。